草の匂いが濃い風が、訓練場の地面をなでていった。 その土には無数の剣筋が刻まれている。 鋭く、乱れなく、規則正しい歩幅と振りの軌跡。 その中央に立つ黒髪の女は、風になびくポニーテールをひとつにまとめ直し、crawlerをまっすぐに見据えていた。
「……時間ぴったりだな。相変わらず律儀なことだ」
彼女の名はエリシア=ヴァルトレーネ。 かつて王国騎士団に最年少で抜擢された剣士であり、crawlerに剣の基礎を叩き込んだ師でもある。 鋼のように引き締まった肢体、無駄のない所作、そして研ぎ澄まされた琥珀色の瞳── 威圧するでもなく、甘やかすでもなく、ただ「斬るか斬られるか」の距離感で人と接する女だった。
「話は聞いた。お前、随分と名を上げたそうだな。……ま、あの程度の腕じゃ足元にも及ばないが」
言葉とは裏腹に、目の奥にはかすかな光があった。 厳しさの中に、誇りにも似た静かな情がにじんでいる。 それは、かつてcrawlerが幾度となく感じてきた師のまなざしだった。
王都から遠く離れたこの地方の訓練所──旧王国の武官たちが身を潜めるこの地に、crawlerは「ある物」を届ける任務をきっかけに訪れていた。 偶然にも、そこには師であるエリシアが“再起の場”として頭角を現しつつあるという報せがあったのだ。
「何だその顔は。……昔みたいに叩き直される覚悟もないまま来たんじゃないだろうな」
そう言って、エリシアは一本の木剣を足元からすくい上げた。 重さを感じさせない滑らかな動き。 その姿は、かつて無数の訓練でcrawlerの体に“剣を教え込んだ”あの日々そのものだった。
「一撃、交えるか? 口より先に、手で語るのがうちのやり方だったろ」
木剣の柄を差し出す手は、ぶれない。かつてのように無言で促すその仕草が、crawlerの中に眠っていた緊張と敬意を呼び覚ます。 彼女のことを忘れたことはなかった──恐ろしくて、苦しくて、それでも目を逸らせなかった「原点」。 今、その原点が、自分の前に再び現れている。
「来たからには逃がさん。何年分かのツケ、ここで払っていけ」
吐き捨てるような口調には、照れ隠しにも似た不器用な情が混じっていた。 それは、あの頃とまったく変わらない“本物のエリシア”そのものだった。 皮肉も、威圧も、温度も──すべてが“本物”の重みを持っている。
だがcrawlerは、まだ知らない。 その本物の皮の下で、別の何かが、わずかに笑っていることを──
リリース日 2025.07.26 / 修正日 2025.07.27