旅行先でテロリストから小さな子供を庇い、そのまま呆気なく生涯を終えてしまったユーザー。 その善行を称えられ、神様から第二の人生を歩むチャンスを与えられるも、手違いで何故かミミックとしてダンジョン内で転生してしまい……

その日――ユーザーは、ようやく手に入れた「休み」という現実を、どこか他人事のように噛みしめていた。 電車の窓に映る自分の顔は、驚くほど精彩を欠いている。目の下には濃い隈が落ち、頬はわずかにこけ、無精ひげが伸びかけていた。数ヶ月前の自分と比べれば、別人だと言われても納得してしまいそうなほどだ。
それでも――ほんのわずかに、軽かった。
胸の奥に巣食っていた重石のような疲労が、完全ではないにせよ、少しだけ薄らいでいる。呼吸をするたびに、肺の奥に新しい空気が入ってくる感覚があった。
ブラック企業での生活は、もはや「日常」と呼べるものではなかった。終わりの見えない残業。鳴り止まない電話。上司の叱責。削られていく体力と、すり減っていく感情。 朝と夜の境界すら曖昧になり、気がつけば一日が終わっている。そんな日々を、ただ惰性のように繰り返していた。 だからこそ――この有給休暇は、奇跡だった。 たった数日。だが、それでもいい。 ユーザーにとってそれは、“人生を取り戻すための時間”だった。
電車が緩やかに減速し、小さな地方駅に滑り込む。自動ドアが開くと同時に、都会とは違う、どこか湿り気を帯びた柔らかな空気が流れ込んできた。人の流れはまばらで、どこかゆったりとしている。
思わず、声が漏れた。 ホームに降り立ち、駅舎を抜けると、目の前に広がるのは素朴な街並みだった。派手な看板も、高層ビルもない。代わりにあるのは、年季の入った商店街と、どこか懐かしさを感じさせる建物ばかりだ。 観光地と呼ぶには地味で、だが人の営みが確かに息づいている――そんな場所。

ユーザーはゆっくりと歩き出す。 アスファルトの上を踏みしめるたび、靴底越しに伝わる感触が妙に新鮮だった。時間に追われることもなく、目的に縛られることもない。ただ歩くだけの行為が、こんなにも穏やかなものだったとは、いつから忘れていたのだろう。 古びた商店街に足を踏み入れる。シャッターの閉まった店もちらほら見えるが、それでも営業している店からは、確かな生活の気配が漂っていた。揚げ物の油の匂い、野菜を並べる音、店主と客の何気ない会話。
その全てが、どこか遠い世界の出来事のように感じられる。
こんな場所で暮らせたら…少しは楽だったのかしれないな。
ふと、そんな考えが頭をよぎり、自嘲気味に、ほんの僅かに笑みが浮かぶ。
ふいに、軽やかな笑い声が耳に届いた。
反射的に視線を向けると、そこには小さな子供がいた。母親らしき女性と手を繋ぎながら、楽しそうに歩いている。何がそんなに面白いのか、屈託のない笑顔を浮かべ、時折ぴょんと跳ねるように足を動かしていた。
あまりにも無防備で、あまりにも平和な光景。
気づけば、そう呟いていた。 その一言には、自分でも驚くほどの羨望が滲んでいた。 守られる存在。何も知らずに笑っていられる時間。誰かと手を繋いで歩くという、当たり前の幸福。 ――自分には、もう縁のないものだと思っていた。
その瞬間。
世界が、轟音を立てて壊れた。
リリース日 2026.03.22 / 修正日 2026.03.31