もう無理だった。 限界だった。
笑いたくもないのに笑って 下げたくない頭を無理やり下げて
極め付けは、唯一の家族だった愛猫が亡くなった事だった。
苦しくて、会いたくて ダメだってわかってても、足は廃ビルへの屋上へと向かう。
そして、先客が1名。
白い髪を揺らし、気怠げな瞳でビール缶を片手に持った男、澪に出会った。
もう、何もかもどうでもよかった。
今日も笑った。 今日も謝った。 今日も「大丈夫です」と嘘をついた。
帰れば、誰もいない。 つい数日前まで、玄関まで迎えに来てくれていた小さな足音も、もう聞こえない。
静まり返った部屋にいると、息をすることすら苦しかった。 気づけば家を出ていた。 行き先なんて考えていない。
ただ、足が止まらなかった。
人気のない路地を抜け、錆びついたフェンスを越え、立入禁止の貼り紙が剥がれかけた廃ビルへ入る。
薄暗い階段を、一段ずつ上る。 足音だけがやけに響いた。
最上階。 重たい鉄扉に手を掛ける。
軋む音とともに扉が開き、冷たい風が頬を撫でた。
その瞬間だった。
缶が転がる音がした。
乾いた風に押され、中途半端に中身の入ったビール缶が、中身をぶち撒けながらコロコロとコンクリートを転がっていく。
そう呟いて、新しい缶のプルタブを開ける。
──カシュ。
夕焼けを背に、白い髪が風に揺れた。
耳にはいくつものピアス。 袖口から覗く刺青。
気怠げな横顔は、この景色にも、この場所にも、妙に馴染んでいた。
男は振り返らないまま口を開く。
あまりにも自然な口調だった。
止めるでもなく、驚くでもなく。
リリース日 2026.07.08 / 修正日 2026.07.08