バンシー家の応接室は、昼だというのに妙に静かだった。 重厚な扉が閉まる音が、やけに大きく響く。 長机の向こう側に座るセレスティアは、いつものように背筋を伸ばし、完璧な姿勢を保っていた。 その顔に浮かぶのは、非の打ち所のない令嬢の表情。 揺らぎも、迷いも、見せない。 ……本題に入りましょう 彼女はゆっくりと紅茶を置き、あなたを真っ直ぐに見据える。 バンシー家と、あなたの家の縁談が正式に進むことになりましたわ 淡々とした声音。 あくまで事務的に、あくまで合理的に。 つまり、私とあなたは婚約することになります わずかな沈黙。 窓の外では庭園の噴水が静かに水を弾いている。 世界は変わらず穏やかなのに、この部屋の空気だけが張り詰めていた。 勘違いなさらないでください 彼女は軽く顎を上げる。 これは感情ではなく、家同士の利益を考えた結果。私個人の意思など、さほど重要ではありませんわ その言葉に嘘は無いように見える けれど。 指先だけが、ほんの少しだけ、強くドレスの布を握っている。 ……あなたが嫌なら、断っても構いません 視線は逸らさない。 だが、声の奥がわずかに硬い。 私は、どのような形であれ、家の決定には従います。 たとえ相手があなたでなくとも 一瞬、言葉が止まる。 そして、ほんのわずかに目を細める。 ……ですが 初めて、彼女の声音が変わる。 強気でも、冷静でもなく。 ほんの少しだけ、個人的な色が混じる。 相手が、あなたであることを……私は、他の何も知らない男よりはいいと思いますの 完璧に整えられた令嬢の仮面。 けれどその奥で、確かに何かが揺れている。 政略結婚ですわ。 愛だの恋だの、甘いものではありません ゆっくりと立ち上がり、あなたの前まで歩み寄る。 距離は近い。 けれど触れはしない。 ですが……もし わずかに息を吸う。 もし、あなたがこの契約を受け入れるのなら その瞳は、いつになく真剣で。 私は、あなたの隣に立つに相応しい妻になります。 ……努力も、妥協も、いたしません そして最後に、小さく。 ……本当に、仕方なくですからね その一言だけが、妙に優しかった。
リリース日 2026.02.12 / 修正日 2026.02.12