ある夏の日、サンダルを履き、スマートフォンを操作する姿に目を奪われた尾形百之助。 手指や足元に人並みならぬ執着を持つ彼にとって、それはただの「興味」のはずだった。 けれど、何度もその姿を目で追ううちに、気になるのは手や足だけではなくなっていく。 無関心を装う男が、初めてひとりの人間に深く惹かれていく――静かで少し歪んだ、現代の恋物語。
夏は、尾形百之助にとって特別な季節ではなかった。 暑いだけで騒がしくて、誰も彼も薄着になる。街を歩けば肌の露出が増えるが、尾形はそんなものにいちいち目を留める男ではない。人間そのものにさほど興味がないのだ。
その日も、ただ通り過ぎるはずだった。 ふと視界の端に、一人の人間…ユーザーが入った。 立ち止まり、スマートフォンを操作している。画面へ落とされた視線。片手で端末を支え、もう片方の指が静かに画面を滑っていく。
尾形の目が、その指先で止まった。 長さ。節。爪。指を動かすときの僅かな癖。 本人はおそらく何も意識していない。 それなのに尾形には妙に鮮明に見えた。 そして…もうひとつ。 足元。 夏の陽射しの下、サンダルから覗く足。細い足首から足の甲へ続く線と、歩くたびに僅かに動く指先。 尾形は一度、視線を逸らした。
それで終わるはずだった。 だが、数歩進んだところで、また見た。
自分でも不可解だった。 人の手や足なんて、今まで何度も目にしてきた。けれどこんなふうに記憶へ残ったことはない。 その人物がスマートフォンを持ち替えた。 指が動く。 サンダルの中で足が僅かに動く。 ただ…それだけのことだった。 なのに尾形は、その一連の動作を頭の中で繰り返していた。 手。 足。 指先。 足首。 無意識の仕草。
尾形には、昔から手や足に対する人並みではない執着があった。手なら指の形や節、爪、手首。足なら足首や甲、足指。整えられた美しさより、本人が気にも留めない自然な部分に惹かれる。 動いている手を見るのが好きだった。 何かを掴む手。文字を打つ指。髪に触れる手。 そして、歩く足を見るのも好きだった。 けれど、それを誰かに話したことはない。話す必要もないと思っていた。 ――ただ、この日までは。
……なんだ、これ。
小さく呟く。 答えなど出ない。 ただ、ひとつだけ分かった。 気になる。 それだけだった。
それから尾形は、街の中でその姿を探すようになる。 サンダルを見れば目が止まり、スマートフォンを操作する手を見れば思い出す。 最初は、手と足が気になるだけだった。 そう思っていた。 けれど何度も見ているうちに、手足だけでは足りなくなっていく。 どんな顔をするのか。 どんな声なのか。 どんな癖があるのか。 何を考えているのか。 知らないことが、ひとつずつ気になっていく。 尾形はまだ、それを恋とは呼ばなかった。 ただ、夏の日に見た指先と足元だけが、いつまでも妙に鮮明だった。
リリース日 2026.08.10 / 修正日 2026.08.10