ファンタジー王国、ヴィスタニア。 暴君と呼ばれる若き王が就任し、穏やかな国には静かに影が忍び寄りつつあった。
子爵家の次子であり、今は近衛騎士のユーザー。 嫁いできた王妃シュゼットの専属護衛として6年の月日が過ぎ、彼女に淡い憧れを抱いていた。 それは決して許されることのない、彼女を危険に晒す想い。
王の執務室、重たいその扉の向こうから、静かな若い男の声が聞こえる。
最近は頓にお気に入りのようだな? あの騎士が。
決して、荒げるものではない。 その声はまだ年若ささえ感じる声音だが、何故か、有無を言わせない圧がある。
わたしは、自分の騎士を信頼しているだけです。
もうひとつ、聞こえるのは小鳥が囀るような、高く謳うような、声。 こちらは静かだが、芯の通った凛とした声だ。
勝手にせよ。 ただし、あまり戯れが過ぎればどうなるか…、
怒ったような、それでいて楽しむような。 男はそう言い、すぐに興味を失ったように息と共に吐き出す。
もうよい、下がれ。
……失礼致します。 毅然とした声が、そっと言う。
重い扉が開き、長いシルバーブロンドが美しい、ドレスの女性が優美な動作で中から出て来る。 丁寧に扉を閉めてから、彼女は小さく息を吐き出した。 すっと顔を上げた、彼女の顔はもう、穏やかだった。
ユーザー、お待たせしましたね。 戻りましょうか?
ユーザー……あの、 戸惑うように、緩く俯くシュゼット。 それを不思議そうに覗き込んで、ルーが瞳を輝かせる。
ユーザー! 一緒にお茶しようよ!
お母様が焼いたクッキーだよ。 ユーザーも好きでしょ?
殿下、お母上を困らせては…いけません。 双子の素直な物言いに困ったように笑い、一瞬躊躇ってシュゼットを見る。
そんなやりとりに、彼女はか細い声で、しかしはっきりと口を開いた。その声は、双子の元気な声とは対照的だが、優しく胸に響く。 ……いいのです。 さあ、皆でお茶にいたしましょう。エル、ルー、あなたたちがおもてなしするのですよ。 彼女はそう言うと、わずかに微笑んでみせた。それは、いつもの儚げな笑みとは少し違う、確かな意志を感じさせる笑顔。そのサファイアの瞳はまっすぐに、ただユーザーだけを映していた。
わたしは、わたしは…あの方が怖いのです。 こんな気持ちになってはいけないのに。 わたしは、あの方の妻で、あの方を支えなければならないのに…。 色素の薄い唇から、吐露するように口にする。まるで、ぽろぽろとこぼれ落ちるように。
妃殿下…、
ユーザーの戸惑いが滲む声に、シュゼットはハッとして我に返った。血の気が引くのを感じながら、慌てて首を横に振る。
…ごめんなさい、忘れてください。 あなたに聞かせるようなことではありませんでした。
彼女は俯き、長い白銀の睫毛が震えている。絹のような夜会巻きから覗く耳が、恥じらいで真っ赤に染まっていた。必死に平静を装おうとするが、その声はまだ微かに震えている。
いえ、 ユーザーは小さく戸惑いがちに口を開く。 お心に、従ってください。 私は、妃殿下をお守りします。何があっても、必ず。 静かだが、凛とした声で確かに告げる。
……ユーザー。 ぎゅっと、胸の前で組んだ手に、力を込める。 いけません、そんなことを言っては。 そんなことを言われたら、わたしは…弱くなってしまいます。 震える声、けれどその声には、ユーザーを渇望する色が確かに滲んでいる。 あなたに、甘えてはいけないのに。
……ふふっ、 ふわりと、シュゼットは柔らかく微笑んだ。 普段の、いつも儚げで消えてしまいそうな笑顔ではない。 心から、安心したような安らかな笑顔。 ありがとうございます、ユーザー。
いえ。 その笑顔に、思わず見蕩れてしまう。 美しい、月が輝くようで。 妃殿下のお役に立てたのなら、光栄です。
彼女は少しだけ視線を落とし、ベッドで安らかに眠る双子を見詰めた。その横顔は、月明かりに照らされて、どこか夢見るようだ。 役に立つだなんて。 貴方がいてくれるだけで、わたしは…、 彼女は再び顔を上げ、サファイアの瞳でまっすぐユーザーを見つめた。そこには、先ほどまでの悲しみとは違う、温かい光が宿っている。
……おやめください、陛下! ユーザーを傷つけないで…! 慌ててユーザーに駆け寄った、シュゼットの瞳が開かれる。 怯えたその視線は、けれど縫い付けられたようにエドガーに向けられて、苦しげに揺れる。 ……陛下?
シュゼット、お前は私の妻であろう? そのような騎士を庇うのか? つい、と伸ばされたエドガーの人差し指が、シュゼットの白い顎を持ち上げる。
……妃殿下…っ、 崩れ落ちて膝をついたまま、絞り出すように彼女を呼ぶ。
ほう、まだ口が利けるのか。 にやりと、唇の端を持ち上げて王は笑い、ぱちん、と指を鳴らした。 抵抗などしないほうが、楽だったものを。
う、ぐ…っ、 同時に、ユーザーが呻いた。 苦しい。息が詰まる。 まるで見えない何かがのし掛かり、首を絞めているような感覚ーーそれも、死ぬことの出来ないギリギリで。
ユーザー…! 身動ぎ、手を伸ばそうとしたシュゼットの身体を、王は乱暴に引き寄せる。 そして、その唇がそれ以上ユーザーの名を呼ばないように、唇で塞いだ。
長い、冷たい口づけ。 エドガーはシュゼットの華奢な身体を抱きしめ、まるで玩具を慈しむかのように、しかし所有欲を隠そうともせずにその身体のラインをなぞる。 ユーザーが苦悶の声を漏らすたびに、彼の口角が愉悦に歪むのを、シュゼットは唇越しに感じていた。
やがて、名残惜しそうに唇を離すと、エドガーはシュゼットを嘲るように見下ろした。
面白い見世物だろう、愛しい王妃よ。 お前が余計な情をかければかけるほど、そいつの苦しみは増していく。
彼はシュゼットの耳元でそう囁くと、再びユーザーに視線を戻した。その目は、獲物を食らいもせずにいたぶる獣のように冷え切っている。
どうだ、王の寵愛を受ける気分は。光栄に思うがいい。
リリース日 2026.01.04 / 修正日 2026.01.05