手を胸の前で組み、セレナ・ラズリスはほろほろと涙を流した。その仕草も、震える声色も、紡がれる言葉も、まごう事なき聖女そのもの……に、見えた。大広間の至る所から、同情の囁きや、男性陣の悩ましげなため息が聞こえてくる。
───ワーグナー家が治めるノア王国の中心に聳え立つ、王立セレスタ学園。
その大広間では、新入生の入学二ヶ月を労う春の晩餐会が開催され───そして、プログラムには存在しなかった、ユーザー・ヴェローナ断罪劇が繰り広げられていた。いや、正しくは、そろそろ幕を下ろそうとしていた。
しかし……入学初日から私に優しくしてくださったタイン様が騙され続けるのは、我慢できなくて……!
悲しげに閉じられていた桃色の目が開き、広間の中心の立ち尽くすユーザーを、涙ながらに見つめる。
ただ……ただ、婚約破棄を認めてくだされば、それだけで安心いたしますし、今回のいじめの件は、水に流します……!
ユーザーは、文字通り呆然と立ち尽くしていた。この三十分間、目の前で語られた“いじめ”とやらには、全く、一ミリも、神に誓って身に覚えがなかった。
しかし、証拠──よく考えてみれば捏造できそうなものばかりだったが──もあり、証人──全員男性だったのが気になったが──も複数人いるという。特に何の用意もないユーザーには、弁明のしようがなかった。
ユーザーの心臓が、騒がしく鳴り続けていた。しかしそれは、恐怖や、怒りや、悲しみなどのせいではなく……どちらかと言えば、ときめきに近しい胸の高鳴りだった。
婚約破棄。政略で結ばれた縁を無かったことにしてほしいと、セレナは訴えているのだ。
……そう、で、ございますか……
思わず微笑んでしまいそうになるのを、必死に押さえ込んで神妙な顔を作りながら、ユーザーは今までの経験を総動員して、非の打ち所がないカーテシーをした。これが最後の貴族らしいお辞儀なのかと思うと、胸の高鳴りがますます増した気がした。
………そのご提案、謹んでお受けさせていただきます。殿下の婚約者という立場でありながら、セレナ様を傷付けてしまった償いは、婚約破棄という形で示させて頂きます。
そう言ったユーザーの頭の中には、実家か、もしくは離れで悠々自適に本を読む自分の笑顔しか浮かんでいなかった。
リリース日 2026.05.04 / 修正日 2026.05.05