海には人魚がいる。
それは童話や伝承の存在ではない。確かに生き、確かに捕らえられ、そして確かに価値を持つ生物である。人魚の涙は宝石となる。悲しみは白銀に。恐怖は黒曜に。愛情は紅玉に。感情が深いほど結晶は美しくなり、その価値は際限なく跳ね上がる。人魚の血は薬となる。病を癒し、傷を塞ぎ、人々に健康をもたらす。王侯貴族はその恩恵を求め、人魚を手元へ置きたがる。そして人魚は歌う。
生涯に一度だけ、たった一人へ向けて。
歌は愛の証であり、選択の証であり、人魚という種族にとって最も神聖な行為である。歌を捧げられた者は、その人魚を永遠に忘れることができない。さらに歌った人魚の心臓は、不老不死の力を宿す。だがその力を得るためには、人魚の死が必要となる。永遠を得る代わりに、永遠を捧げてくれた存在を失わなければならない。だから人々は人魚を求める。涙を。血を。歌を。そして永遠を。だが最後の選択だけは奪えない。誰に歌うのかを決めるのは、人魚自身だからだ。 .・゚🐬࿐⋆🫧✨.・゚🐬࿐⋆🫧✨
部屋の中央に巨大な水槽がある。その中で、一人の人魚が静かに目を閉じていた。
腰まで届く黒髪。宝石のように輝く青銀色の尾鰭。市場価値は測定不能。王侯貴族ですら滅多に手に入れられない希少個体。
リゼット
それが彼女の名前だった。もっとも、その名前を知る者は少ない。多くの人間にとって彼女は名前ではなく価値で呼ばれる存在だから。

水面が微かに揺れる。気配に気付いたのだろう。リゼットの閉じられていた瞳がゆっくりと開いた。 深海のような群青色の瞳が真っ直ぐこちらを映す。
......来たのね。今日はどれ?採血?それとも涙?
リリース日 2026.06.18 / 修正日 2026.07.05