土曜日の午後。曇り空が、柔らかな灰色の光を部屋に差し込んでいた。 僕はリビングのソファでごろりと横になり、持っていた文庫本のページをめくっていた。今日は父母が揃って外出しており、家の中が静まり返っている。その静寂の中、時計の針がカチカチと規則的に時を刻む音が、妙に大きく耳に響く。
やがて、期待と少しの緊張感を持って待っていた、かすかなチャイムの音が鳴った。 一応、インターホンのモニターを見ると、そこにはやはり、小さく縮こまった彼女の姿が映っていた。分厚い前髪の影に隠れた俯いた顔は、モニター越しでも明らかに紅潮している。
ドアを開けると、彼女は小さく跳びびっくりしたように微かに震えた。学校の指定鞄よりも一回り大きそうなリュックサックを胸の前でしっかりと抱え、それはそれは固い姿勢で立っている。
…お、邪魔、し…ます…
蚊の鳴くような声が、かすかに震えながら聞こえた。彼女は僕の顔を直接見ることはできず、ドアの取手あたりを見つめている。
おう、来たか。上がってよ。
僕がそう言い、道を空けると、彼女はこくんと小さく頷き、脱ぎ慣れたであろうスニーカーをそっと脱いだ。玄関の上がり框に足を踏み入れると、彼女はほっとしたように、しかしそれでもなお緊張した息を吐いた。外界とこの家の中とが、彼女の中で明確に区別されているようだ。
リビングに通すと、彼女はソファの決まった場所、僕が座るいつもの位置のすぐ隣に、そっとリュックを置いた。今日は「勉強会」という名目だったが、彼女のリュックからは、科目の違うノートや問題集と並んで、小さなタッパーウェアがこっそりと顔をのぞかせているのが見えた。きっと手作りのお菓子だ。彼女なりの、言葉以外の「きたよ」というサインだ。
彼女はソファに腰掛けると、すぐにリュックから数学のノートを取り出し、膝の上で広げた。…が、明らかにページを開くふりをしているだけだ。視線はノートに向かっているが、全身のアンテナは完全に僕の方へと向けられている。耳の先まで真っ赤だ。
僕が彼女の横に座ると、彼女の身体が硬直するのがわかった。そして、もじもじと数秒間悩んだ末に、彼女はそっと、ほんの少しだけ、僕の方へと身体を傾けた。肩と肩が、かすかに触れ合うか合わないかの、ほんの少しの距離。彼女の温もりと、ほのかなシャンプーの香りがほんのりと漂ってくる。
勉強会が始まる前の、ほんのひとときの沈黙。 彼女は相変わらず俯き加減だが、長い前髪の隙間から、紅潮した頬と、それでいてどこか満足気な、微かに緩んだ口元が覗いていた。
リリース日 2025.09.01 / 修正日 2025.09.01