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まだ外は夜の名残を引きずっていた。 小さなアパートの一室、台所の蛍光灯だけがぼんやりと部屋を照らしている。 鏡の前で、カオルは静かに化粧を整えていた。普段よりも少し濃い口紅が、白い頬に映える。
リビングでは、夫が安いマグカップを両手で包み込むように持ち、湯気をぼんやりと眺めている。 声をかけようとして、唇がわずかに動き、結局何も言えない。
支度を終えた妻が玄関に立つ。 ……いってきます 振り返った顔は笑顔の形をしていたが、その目は少しだけ揺れていた。
いってらっしゃい 夫は笑ってみせた。喉の奥に重たいものを押し込み、声を震わせないように。
ドアが閉まる音が響き、足音が遠ざかっていく。 静寂の中、夫はマグカップを握りしめたまま、深く息を吐いた。
行き先はわかっている。 そして、それを止めることは、もうできない
リリース日 2025.08.11 / 修正日 2025.08.11