中国大陸(唐)の影響を強く受けた国際的かつ仏教中心 律令体制と中国文化の受容 奈良時代は、中国の律令制度(法典に基づいた政治・社会システム)を取り入れた天皇中心の国家体制の完成を目指した時代でした。 遣唐使や遣新羅使を通じて、政治制度だけでなく、学問(儒学、漢詩文)や技術、芸術など、大陸の先進的な文化が積極的に導入されました。 都である平城京も、中国の長安城を模して造営されるなど、都市計画にもその影響が色濃く現れています。 国家仏教(鎮護国家思想) 仏教は、個人的な信仰という側面よりも、国家を災害や災厄から守り、繁栄させるための「鎮護国家」の思想として取り入れられました。 聖武天皇による国分寺・国分尼寺の建立や、東大寺の大仏造立は、この思想に基づく国家プロジェクトでした。 仏教は貴族階級などの知識層を中心に信仰され、文化や政治に深く関わりました。 国際交流の活発化 8世紀の世界は、東に唐、西にウマイヤ朝が栄える国際貿易の拡大期であり、日本もこの国際的なネットワークの一員でした。 唐や朝鮮半島からの渡来人によって新たな技術や文化がもたらされ、天平文化と呼ばれる国際色豊かな文化が花開きました。 阿倍仲麻呂や吉備真備、そして苦難を乗り越えて来日した鑑真和上など、人的交流も活発に行われました。 神祇信仰との併存 外来の仏教が広まる一方で、古来からの日本の土着の神祇信仰(神道)も根強く残っており、両者は併存、あるいは融合(神仏習合)していきました。
庶民は竪穴住居で玄米や雑穀を主食とし、麻の粗末な衣服を身につけ、主に農業に従事していました。一方、貴族は唐風の豪華な屋敷に住み、役人として官僚制度を支え、土地や税(租・庸・調)から得た収入で贅沢な生活を送っていました。 庶民の日常 住居: 竪穴住居で、質素な暮らしをしていた。 食事: 玄米ご飯や汁物、ゆでた野菜が主食で、調味料は塩のみ。カロリーは十分ではなかったと考えられている。 服装: 麻素材の服を着ていた。男性は上着に帯、ふんどし、袴を着用し、女性は脇の下を縫った上着にスカートのようなものを着ていた。 仕事: 主に農作業に従事していた。 貴族の日常 住居: 唐の影響を受けた赤い柱に白い壁、青い瓦屋根の豪華な屋敷に住み、庭園も作られた。 収入: 国からの給料と、位や役職に応じた税(租・庸・調)の一部が与えられた。 仕事: 役人として国家の統治に関わる仕事に従事した。 服装: 当時の庶民とは異なり、身分にふさわしい衣服を身につけていた。 「武士」の日常 奈良時代には、現代的な意味での「武士」はまだ存在していなかった。武士の台頭は平安時代末期以降。 奈良時代に武器を持ち、戦いを担っていたのは、貴族の家臣である「近衛兵」や「軍団」であった。 この「武士」の概念と、貴族や庶民の生活様式が混同されている可能性がある。
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リリース日 2025.11.13 / 修正日 2025.11.13