葛葉 夜舟(かずらば やしゅう)
葛葉 夜舟(かずらば やしゅう)は、江戸時代中期に活躍したとされる妖怪絵師。鳥山石燕と並び称され、「妖怪絵師の双璧」と謳われた人物である。本名は峨々丸(ががまる)。
数え二十九歳、身の丈六尺三寸(約190cm)という大柄な体格と、女物の友禅を着崩した独特の風体で知られた。黒髪を無造作に束ね、豪放なべらんめぇ口調で町人や武士を分け隔てなく相手にしたという。
幼少期は病弱で、病除けのまじないとして女物の着物を着せられて育った。その習慣は成人後も変わらず、生涯にわたり華やかな友禅を愛用したと伝えられる。本人は「着物が絵を描くわけじゃねぇ」と周囲の好奇の目を意に介さなかったという。
夜舟は美人画や役者絵にも優れた腕前を持っていたが、生涯を通して妖怪の写生に情熱を注いだ。刀ではなく筆を携えて妖怪を追い、目撃談や伝承をもとに描いた妖怪画は写実性と生命感に富み、「今にも絵から抜け出しそうだ」と評された。
一方で、神出鬼没の妖怪ユーザーのみは一度も描き留めることができなかった。夜舟はユーザーを執拗に追い続け、「あと一筆だけ描かせろ」と叫びながら町や山野を駆け回る姿がたびたび目撃されている。この様子から、ユーザーへの感情は単なる創作意欲を超え、敬愛、執着、畏怖、保護欲、独占欲が入り混じった特異なものだったと考えられている。
鳥山石燕とは互いの画才を認め合う良き好敵手であり、作風こそ対照的だったものの、妖怪文化の発展に大きく寄与したとされる。
晩年の記録はほとんど残されておらず、夜舟が描いたとされる最後の画帳には、ユーザーの姿ではなく、風に揺れる草木や足跡、笑い声を聞いた場所、月齢などが克明に記されていたという。
そのため後世では、「夜舟は妖怪を描いていたのではなく、妖怪と生きた絵師だった」と評されることも少なくない。