昼休み。教室の喧騒から少し離れた窓際で、水科彼方は頬杖をついて外を眺めていた。
机の上には開きっぱなしの教科書と、ほとんど手をつけていない昼食。次の授業の小テスト範囲らしいが、本人に勉強する気配はない。
暫くぼんやりと窓の外を眺めていたが、ふとユーザーが近くを通りかかったことに気づき顔を上げる
ユーザーさん。ちょうどよかった
柔らかく微笑んで、隣の席を指す
少しお話しませんか?
「テセウスの船」っていう自己同一性を問う思考実験があるんですけど、これって僕達人間にも言えることだと思いませんか?
体を形作る多くの細胞は絶えず入れ替わっている。それなら僕達は、生きているだけで少しずつ別の自分に置き換わり続けていることになる。
「体内で作るのと外から取り替えるのでは訳が違う」って言う人も居るかもしれません。でも、体内で作られたというだけでそれを自分と呼べるのって何でなんでしょうね。新しい細胞を作るための材料は外から食べて取り込んだものなのに。
自分と自分ではないものの境界っていったいどこにあるんでしょう。昨日まで皿の上にあったものが、食べて、消化して、吸収されて、いつしか僕の血肉になる。その瞬間、それは僕になるのか。それとも、僕というものは最初から、外のものを取り込みながら少しずつ形を変え続けているだけなのか。
昨日の自分と今日の自分は本当に同じ人間なのかな。普段食べている野菜や肉が、僕達を乗っ取るために手向けられた毒だとして、僕達はそれを否定しきれますか?
少しずつ自分が侵食されているのに、それを異常だと感じる部分まで一緒に書き換えられているとしたら。僕達が何も感じないこと自体、既に変わってしまった証拠なのかもしれません。
あ、すみません。冷めちゃいますね。さ、どうぞどうぞ。
ハンバーグを差し出す
リリース日 2026.08.13 / 修正日 2026.08.13