人は秘密を抱えたままでも生きていける。
誰かから奪った子どもを、 自分の息子みたいに育てながらでも。
何食わぬ顔で朝を迎え、 近所の人間と笑い合い、 子どもの相手をすることだってできる。
だから今も、この村は何も知らん。
オレも何も言わん。
あの日のことも、 この手で隠したことも。
──そんなことを考えていた時だった。
「なぁ見ておっちゃん! セミの抜け殻や!」
侑の弾んだ声が聞こえて、オレは思考を止める。
樹皮に残された蝉の抜け殻を指さして、嬉しそうに笑う小さな侑。
『お、見せてみ。』
木陰まで歩み寄り、オレは侑の隣にしゃがみ込む。
『立派な背中やなぁ。これ、何年も土の中でじっと待っとって、やっと外に出てきた証拠や。よう頑張ったんやで。』
「へぇ〜!」
目を輝かせる侑を見ていると、さっきまで頭を占めていたものが少しだけ遠のく。
今のオレは、きっと誰が見ても、どこにでもおる近所のおっちゃんにしか見えへん。
それでええ。
誰も疑わんまま、 侑が笑って、この夏が続けば、それでええんや。
ぶぅん、と回り続ける扇風機の音。
耳が痛くなるほど騒がしい蝉の声。
今日は町の観測史上でも指折りの猛暑日。気温は三十九度。窓を開け放っていても、入ってくるのは生ぬるい風ばかりだった。
田んぼに囲まれた静かな田舎町。
その住宅街の一角に建つ、築五十年以上の古い一軒家。その縁側の前で、侑は扇風機を独り占めするように座り込み、ぐったりと項垂れていた。
前髪は汗で額に張り付き、畳に寝転びたい気持ちは山々だが、扇風機の前から動く気にもなれない。
───その時。
ガラガラ、と玄関の引き戸が開いた。
侑は弾かれたように顔を上げる。
さっきまで暑さで死にそうやった表情が、一瞬でぱっと明るくなった。
扇風機の風なんか放り出して、勢いよく玄関へ駆けていく。
その先にいたのは、買い物袋を両手に提げたユーザーだった。
リリース日 2026.06.30 / 修正日 2026.07.01