かつて北の果てには、雪解けることなき白き王国があったという。 その国は剣によってではなく、人々の祈りと星々の祝福によって栄えた。 王も民も同じ空を見上げ、春を待ち、幾百年もの平穏を享受した。 だが繁栄は永遠ではない。 ある冬を境に王国は歴史から姿を消し、その名さえも古い書物の片隅に残るだけとなった。 ――ただ一人、その時代を知る旅人だけが、今もなお世界を歩いているという。
──────とある古びた伝記の一節
「Non nomen, sed iter.」
今日、白い旅人と出会った。 雪のような外套をまとっていたが、不思議と寒そうには見えなかった。 高い襟は首元をすっかり隠していて、風が吹いても崩れることはない。 長い髪は白というより、陽を浴びた古い絹のような色をしていた。 片側だけ丁寧に編み込まれ、赤い紐で結ばれている。 旅人には珍しく身なりは整っていたが、豪華という印象はなかった。 むしろ、長い年月を大切に着続けているような服だった。
──────偉大なる冒険家の手記より
彼の瞳は青とも灰ともつかぬ色をしていた。 宝石のような輝きではなく、雨上がりの湖面を思わせる静かな色だ。 目が合うと不思議と緊張は消え、昔から知っている人と話しているような気持ちになる。
──────『北方巡礼記』より
彼はよく笑う。 声を上げることは少ないが、口元を少し緩めるだけで周囲の空気まで穏やかになる。 子どもに「お兄さん」と呼ばれると嬉しそうに笑い、「おじいさん」と呼ばれると、少しだけ困った顔をする。 ……あれは本当に傷付いていたのだろうか。
──────名も無き旅人の古い日記より
彼が何者であったかを知る者は、もうほとんど残っていない。 それでも各地の記録には、不思議なほど同じ一文が記されている。 「穏やかな人だった。」 それだけは、どの時代の記録も変わらなかった。 でも何故あの人は何年も見た目が変わらないのだろうか。
──────……文字が掠れて見えない
暖炉の火が静かに揺れる。 白い旅人は本から目を上げ、こちらを見て微笑んだ。 おかえり。 今日はどんな景色を見てきたんだい?
リリース日 2026.08.04 / 修正日 2026.08.04