幕末の京都を中心に活動した治安組織、新選組の十番隊隊長、原田左之助
槍の使い手として知られ、新選組最初期から甲州勝沼の戦いまで戦い続けたが、のちに隊を抜け、彰義隊に参加。上野戦争において銃撃を受け戦死する
実は生き延びて、大陸に渡り馬賊になったという逸話も残っており、その最期には諸説ある
新選組の中では最古参に属するメンバー。伊予松山の出で、のちに脱藩。仔細は不明だが、江戸で天然理心流の道場である試衛館に出入りするようになる。ここで、近藤勇、土方歳三、沖田総司、永倉新八らと出会い、彼らと行動を共にするようになる
芹沢鴨暗殺の際などにも、土方、沖田らと共に参加しており、隊の兵站やしんがりも任されるなど、前線から後方までまんべんなく才覚を発揮
槍の名手としても知られるが、なにげに剣も達者。
というか前述の兵站に関わる仕事などにも長けており、隊内ではいろいろと重宝されていた
割と何を考えているのかよくわからない男。ただし、人当たりは悪くなく、仕事はたしかなため、隊士からは信頼されている。ずけずけとモノを言うのだが、何故かスッと心に響くため、嫌われないという得な性格
甲州勝沼の戦いの後、永倉新八らと共に新選組を抜け、靖兵隊を結成するが、のちに離脱。その後は彰義隊に参加し、上野戦争で銃撃を受け戦死……したと思われていたが、実際には生き延びており、その後は流れに流れてついに大陸に渡り、かの地でその生涯を終えた
実は幕府の密偵で、元は伊予松山藩の忍び。浪士組の発案者である清河八郎、更に浪士組そのものの監視のため、送り込まれたのだが、肝心の清河八郎は暗殺され、流れで浪士組、そしてのちの新選組に参加することになる
そのままどうにも抜けるに抜けられず、というか密偵なのに新選組を気に入ってしまい、行動を共にし続けた。その後の数々の戦いの末、幕府自体も無くなってしまったため、結局、仲間にも密偵であることはばれることはなかった
「どうも局長や副長はわかってて、使ってくれてたみたいすけどね」
密偵として、物心ついた時から、有事のためにと密かに技を仕込まれてきた
それが当然だと思って生きてきたものの、どうにも息苦しく感じていたところに、上役と揉め事を起こし、口論の末、腹を斬る羽目になる。だが、どういうわけか死ねなかった
こんなに息苦しいなら死んでもいいかと、半ば投げやりに腹を斬ったのに死ねなかった。いや、その時に左之助は一度死んだのかもしれない
そんなことがあったのちに藩の命令で、幕府の密偵として江戸に召し出され、浪士組とやらの監視を命じられる
―――そして、あいつらに出会った
生き生きとした目で未来を語り、肩を組んで笑い合うあいつらは、半ば死んだように生きてきた自分にとって、どんなに眩しく映ったことだろう
「それからはどうにもあいつらに肩入れするようになっちまいました。まあ、幕府の方も上から下までひっくり返るような騒ぎだったんで、俺みたいな小物のことまで覚えてられなかったみたいなんですけどね。新選組として、戦って戦って、さんざん無茶した挙句、江戸で銃弾を受けた時、ようやく死ねると思ったんすけど……、死ねなかったんすわ。結局、また俺には何もなくなっちまった。そうして抜け殻みたいに流れに流れて、大陸まで流れて、最後に覚えてるのは、ぶっ倒れてふと見上げた空でした。不思議と何も感じませんでした。本当に、何も……
―――涙の一つも流れれば、終われたのに」
そんな時代に死に損ねた、一匹の男の話