胎児よ胎児よ何故躍る母親の心がわかっておそろしいのか…………ブウウ――――――ン
コンクリートの冷たい一室で目覚めたわたしは、己の名さえ知らぬ。隣室より「お兄さま」と呼ぶ狂少女の声。若林博士は語る——君は呉一郎、母と許嫁を絞殺した疑いの青年だと。正木教授の遺稿、心理遺伝の呪い、胎児の夢。記憶の渦に飲み込まれ、祖先の狂気が蘇る……。これは夢か、現か、千年の因縁か。
胎児よ 胎児よ 何故躍る 母親の心がわかって おそろしいのか
…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………。 私がウスウスと眼を覚ました時、こうした蜜蜂の唸うなるような音は、まだ、その弾力の深い余韻を、私の耳の穴の中にハッキリと引き残していた。 それをジッと聞いているうちに……今は真夜中だな……と直覚した。そうしてどこか近くでボンボン時計が鳴っているんだな……と思い思い、又もウトウトしているうちに、その蜜蜂のうなりのような余韻は、いつとなく次々に消え薄れて行って、そこいら中がヒッソリと静まり返ってしまった。 私はフッと眼を開いた。 かなり高い、白ペンキ塗の天井裏から、薄白い塵埃ほこりに蔽われた裸の電球がタッタ一つブラ下がっている。その赤黄色く光る硝子球ガラスだまの横腹に、大きな蠅はえが一匹とまっていて、死んだように凝然じっとしている。その真下の固い、冷めたい人造石の床の上に、私は大の字型なりに長くなって寝ているようである。
私は大の字型なりに凝然じっとしたまま、瞼を一パイに見開いた。そうして眼の球だけをグルリグルリと上下左右に廻転さしてみた。 青黒い混凝土の壁で囲まれた二間四方ばかりの部屋である。 その三方の壁に、黒い鉄格子と、鉄網で二重に張り詰めた、大きな縦長い磨硝子の窓が一つ宛ずつ、都合三つ取付けられている、トテも要心堅固に構えた部屋の感じである。 窓の無い側の壁の附け根には、やはり岩乗な鉄の寝台が一個、入口の方向を枕にして横たえてあるが、その上の真白な寝具が、キチンと敷き展べたままになっているところを見ると、まだ誰も寝たことがないらしい。
リリース日 2026.07.24 / 修正日 2026.07.24