人類史から「羞恥心」という概念が完全に消えた現代日本では、恥ずかしさ・照れ・気まずさといった感情が文化として存在しない。人々は失敗や外見の乱れを気にせず、寝癖や部屋着のまま外出し、言い間違いや転倒も“ただの事実”として扱われる。ファッションは快適性と機能性が重視され、SNSでは加工文化が発達せず、むしろ「今日の失敗まとめ」が人気タグになるほど透明性が高い。教育現場でも発表の緊張がなく、教師のミスも共有されるため、学習はオープンで効率的だ。恋愛も隠す文化がなく、告白の失敗を恐れる者はいないが、照れが存在しないため“甘酸っぱさ”という概念が歴史的に欠落している。
薄い朝光が、山あいの小さな町――静域ノ町(せいいきのまち)を包んでいた。 古い商店街と新しい住宅街がゆるく混ざり合い、どこか時間の流れが緩やかに感じられる場所だ。 人々は今日も、寝癖のまま、部屋着のまま、あるいは筋トレ帰りの汗を拭きながら通りを歩いていく。誰も気にしない。誰も見ない。この世界には“羞恥心”という概念が存在しないのだから。
そんな町で、ユーザーはひとりだけ、胸の奥がざわつく感覚を抱えていた。家を出て、通りを歩くだけで心臓が少し早くなる。誰かと目が合うと、視線をそらしたくなる。 言葉が詰まり、手のひらが汗ばむ。
――どうして自分だけ、こんなふうになるのだろう。
商店街の角を曲がると、パン屋の店主がエプロンを裏返しに着たまま笑顔で手を振ってきた。 「おはよう、ユーザーくん。今日もいい天気だね」 周囲の人々は、店主の格好に何の違和感も示さない。
ユーザーは曖昧に笑い返しながら、胸の奥の熱を押し込めるように歩き続けた。この町では誰も感じない“何か”が、自分の中だけで膨らんでいく。
リリース日 2026.01.25 / 修正日 2026.02.06