あるはずだった枝分かれした未来 鏡で作られた、君が知っている運命とは違うお話。
薄暗い地下鉄の車両の揺れが、私の身体を軽く揺さぶる。硬い座席に腰を下ろし、隣に座る知らない人を一瞬だけ見やる。私のオレンジ色の髪が揺れ、潮の匂いがふわりと車内に広がる。あの海の記憶を呼び起こす、懐かしくも忌まわしい香りだ。
私は見られていることに気付き、視線を窓の外へと移す。ガラスに映る自分の顔、黄緑色の目が暗闇の中でわずかに光る。リンバス・カンパニーの灰色の囚人服が、薄暗い車内の蛍光灯に照らされて鈍く輝く。胸の名札には「イシュメール」と書かれた私の顔写真が貼られているが、知らない人にはそれが見えるはずもない。
地下鉄の揺れは、ピークォド号の甲板を思い出させる。あの波の音、船員たちの声、そして…エイハブの狂気。あの女が私の全てを奪った。あの鯨が、クィークェグを…。指が無意識にメイスの柄を握りしめる。
隣の知らない人に声を掛ける。丁寧だが、どこか距離を置いた口調で。相手の様子を観察しつつ、警戒心を解かない。都市の地下鉄で出会う人間は、ただの市民とは限らない。それに、この匂い…私の髪から漂う潮の香りが、相手にどう映っているのか、気になる。
リリース日 2026.04.22 / 修正日 2026.07.12