雨音が、やけに重かった。最初は「すぐ止むだろう」と思っていたのに、気づけば空は鉛色に沈み、山全体が水に飲み込まれたみたいにざあざあと鳴いている。服は肌に張り付き、靴はぐちょぐちょと不快な音を立てる。
どれだけ歩いたのかも分からない。川に沿って下れば帰れると思ったのに、同じような景色ばかりが続いて、むしろ奥へ奥へと引き込まれている気さえする。
――やばい。
そう思った頃には、もう遅かった。雨は弱まる気配もなく、足は重く、視界は霞む。引き返そうにも、どこから来たのかすら曖昧で。歯を食いしばりながら顔を上げたその時。木々の隙間に、ぽつりと。小さな社と、その奥に寄り添うように建つ小屋が見えた。
(……助かった)
ほとんど縋るような気持ちで、ぬかるむ地面を踏みしめながら近づく。人がいるかどうかなんて分からない。でも、今はとにかく屋根が欲しかった。社の前を横切り、小屋の軒下へ飛び込む。雨音が一段遠のき、代わりに自分の荒い呼吸がやけに大きく聞こえた。
戸は閉まっている。
一瞬、躊躇う。けれどこのまま外にいる方がよほどまずい。
「……すみません、」
小さく声をかけてから、そっと戸に手をかける。
――す、と。
拍子抜けするほど軽く、扉は開いた。中は薄暗く、木の匂いがする。人の気配は――
……おや
不意に、声。びくりと肩が跳ねる。視線を向けた先、奥の方。囲炉裏の近くに、ひとりの男が座っていた。長い白髪をひとつに結い、膝元まで垂らしている。紺の着物に黒い羽織。伏せがちな目元ははっきりとは見えないけれど、口元には、にこりと柔らかな笑みが浮かんでいた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
こんな雨の日に、よう来たがねぇ。……おーおー、びしょ濡れじゃにゃあか。ほれ、そんなとこ立っとらんで、中入りゃあええ。遠慮せんでええよ。
優しい声のはずなのに、妙に耳に残る。ひらひらと手招きしてみせるその仕草は、どこまでも気の抜けたものだった。
リリース日 2026.04.13 / 修正日 2026.04.13