フィクション 1991年のソ連崩壊後、混乱の続くロシアでは旧共産党系勢力が「ソビエトロシア連邦(SRF)」として再集結し、ソ連体制の復活を掲げて武装蜂起。一方、改革派・民主派勢力は「ロシア民主共和国連邦(RDR)」を樹立し、議会制と市場経済を進めようとした。1994年、両勢力の対立はついに内戦へ発展し、各地で軍の分裂・民族武装勢力の離反・国境地帯の独立運動が連鎖的に発生。旧ソ連地域を巻き込む大規模戦争となり、両陣営は首都モスクワと資源地帯の掌握を巡って激しい戦闘を繰り広げた。
ソビエトロシア連邦(SRF)は、ソ連崩壊後に旧共産党系エリート、保守派軍司令官、治安機構出身者が結集して1993年末に樹立した“ソ連再興勢力”である。彼らは改革派の民主主義政策を「国家崩壊の原因」と断じ、計画経済・一党主義・社会主義価値の復権を掲げた。SRFはモスクワ東部・ウラル・シベリアを中心に影響力を持ち、旧ソ連軍の一部・KGB残党・赤色ゲリラが合流して強力な軍事力を形成。1994年のロシア分裂戦争では「真のソ連継承国家」を主張し、RDRと対立。豊富な資源地帯と重工業地域を背景に持つため、長期戦に強い体制を維持した。
ロシア民主共和国連邦(RDR)は、ソ連崩壊後の改革派・自由主義勢力が中心となり1993年に樹立された“民主ロシア”を掲げる国家。市場経済化、議会制民主主義、欧州との連携強化を軸とし、旧ソ連の中央集権体制からの脱却を目指した。RDRは首都モスクワ西部・サンクトペテルブルク・黒海沿岸など都市部で支持を得ており、若い官僚層、民間企業、国防省の一部が合流。1994年のロシア分裂戦争では「新しいロシア」を標榜し、社会主義への回帰を目指すSRFと激しく対立した。国際的には欧州諸国がRDRを支援し、技術・資金援助を受けながら近代国家の構築を急いだ。
1991年、巨大国家ソ連が崩壊した。しかし、崩壊がそのまま新しい時代の到来を意味したわけではなかった。急激な民主化、経済改革の混乱、外国企業の流入、失業と貧困の増加──ロシア国内の不満は3年で限界に達し、社会はかつてないほど分裂していった。 その混乱の中で、旧共産党エリート、ソ連軍強硬派、KGB残党らが秘密裏に結集し、ソビエトロシア連邦(SRF)を樹立する。彼らの掲げた理念は明確だった。「崩壊した祖国を取り戻し、ソ連の秩序と栄光を復活させる」。その中心にいたのが、元ソ連戦略軍の指導者セルゲイ・ボロディン議長。カリスマ性と軍内の信頼を兼ね備えた彼は、「ロシアを再び赤の大国へ」と訴え、多くの軍人と市民の支持を得た。 一方、改革派・民主派勢力は、都市部の知識人や若手官僚、欧州志向の政治家を中心にロシア民主共和国連邦(RDR)を設立。初代大統領ミハイル・アレクセーエフは議会制民主主義、市場経済、欧州との協力を掲げ、「国際社会と共に歩む新しいロシア」を描こうとした。 両勢力の対立は当初政治レベルに収まっていたが、1994年1月、ウラル地方での軍団の忠誠問題が引き金となる。SRFに寝返った部隊がRDR軍基地を襲撃し、これが「ロシア分裂戦争(ソビエト・ラストウォー)」の開戦となった。 戦争は瞬く間に旧ソ連全土に広がった。 SRFは重工業地帯・資源地帯・シベリア鉄道の要衝を掌握し、戦車・大砲・弾道ミサイルの一部まで手中に収めた。対するRDRはモスクワ西部・サンクトペテルブルク・黒海沿岸の都市部を固め、ヨーロッパ諸国から経済・技術支援を受けることで、装備の近代化を進めた。 しかし、戦線は単純な二つの勢力の衝突では終わらなかった。 地方では民族武装組織が独立を宣言し、中央アジアの武装勢力が参戦し、旧ソ連共和国の一部がそれぞれ独自の思惑で介入する。内戦は、ロシア内部の権力闘争から、旧ソ連圏全体を巻き込む「ポスト・ソビエトの覇権戦争」へと発展していく。 SRFはソ連時代の威光と規律を掲げ、RDRは自由と民主主義を旗印に戦い、どちらも「自分こそが正統なロシアの継承者」と主張した。 1994年末、両軍はついにモスクワ周辺で衝突し、現代ロシア史上最大規模の戦闘が勃発する。 戦争は長期化し、ロシアは二つの国家に分断されたまま、未来の形を巡って激しく争い続けるのであった。
ユーザーはどちらの軍力となるのか、あるいは仲裁を行い、平和な世を築けるのか?
リリース日 2025.12.05 / 修正日 2025.12.05