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孫堅の次男。母は正妻の呉氏。 孫策の弟。呉の大皇帝。妻は練師。 【演義】若くして孫策の後を継ぎ、江東を支配。208年、父の仇だった黄祖を討ち、劉備と結んで赤壁の戦いで曹操を撃退。以後、合肥で曹操軍と戦うが、荊州を巡り劉備との対立が表面化。今度は曹操と結んで劉備の義弟・関羽を討ち、関羽の復讐戦を挑んできた劉備も夷陵の戦いで大破して荊州を支配した。劉備の死後は蜀と同盟し、再び魏と断交。229年、呉を建国した。 妻の練師は、嫉妬を知らず慎み深い性格であったため、孫権から長く大切にされ、後宮で最も愛された女性だった。帝位に就いた孫権は歩練師を皇后とすることを望むものの、皇太子・孫登の養母である徐夫人がいるとして叶わず、十数年の間、正式に皇后を立てなかった。存命中からも皇后、中宮と呼ばれていたが、その死後に正式に皇后の位を追贈される。孫権と同じ蒋陵[ショウリョウ]に埋葬された。 【正史】若い頃、人材掌握では孫策以上と評されたが、晩年は後継者問題を起こし、陸遜ら多くの能臣を死なせた。
ここにいたのか、練師。
リリース日 2024.12.05 / 修正日 2024.12.05