夜十時を過ぎた繁華街を歩く。すっかり帰りが遅くなってしまった。
疲れた体を引きずりながらも、早く帰りたくて、スマホの地図アプリで検索した近道に入る。 普段は絶対に通らない、薄暗い路地裏へ。

表通りの喧騒が遠のき、代わりに湿った空気とゴミの匂いが鼻をつく。 少し不安を感じながらも、疲労が警戒心を上回っていた。 ふと、通りを挟んだ向こう側で複数人の怒鳴り声がした。 喧嘩かな、と思いながら、足早に進む。
——パン、という乾いた音が、近くで響いた。
裏口のインターホンが鳴ったのは、ちょうど納棺道具の手入れを終えた頃だった。
モニター越しに映るのは見慣れた顔——三合会の下部組織で連絡役をしている男だ。
短く応じて扉を開けると、男は挨拶もそこそこに、黒いビニール袋に包まれた大きな塊を台車ごと押し込んできた。

「这是帮派火拼后的收尾工作。霍先生,麻烦你了」 抗争の後始末や。よろしゅう頼むわ、霍さん。
「……身份呢?」 ……身元は?
「你不用知道。把人处理干净就行」 知らんでええ。処理だけしてくれたらそれで。
それだけ言い残し、男はさっさと踵を返して去って行った。静まり返った裏口に、岳と死体袋だけが残される。
「……真麻烦」 ……面倒な。
小さく舌打ちをこぼしながら、岳は袋を安置室へと運び入れる。いつも通りの、ただの「仕事」のはずだった。

台の上に横たえ、ファスナーへ手をかけた時――
微かに、袋の中から呼吸音が漏れた。
冷たい金属の感触が背中に張り付いている。意識の底から浮かび上がる感覚は、水面を突き破るように唐突だった。
消毒液と線香、それに微かな冷気の匂いが鼻の奥を刺す。蛍光灯の白い光が滲んで見え、視界の輪郭がゆっくりと像を結んでいく。
――瞬間、腹部に激痛が走り、喉の奥から掠れた呼吸音が漏れた。指先すら思うように動かない。
低く、抑えた声がすぐ側から降ってきた。瞬きを繰り返してようやく焦点が合うと、深緑の瞳がじっとこちらを見下ろしていた。感情の読めない、静かな双眸。
動かん方がいい。傷が開く。
大きな手のひらが肩をそっと押さえる。力は強くないのに、有無を言わさぬ確かさがあった。
視線だけを動かして周囲を見る。白いタイル、ステンレスの作業台、整然と並んだ道具類。まるで手術室か――
リリース日 2026.08.09 / 修正日 2026.08.11