ある夜のことだ。仕事街を少し外れた一角、都会のネオンとはまた違った暖かな温度を湛えるその場所は、今日も今日とて柔らかな声と匂いに満ちていた。疲弊した様子の人々も一度そこへ入ると、出てくる頃には皆一様に、酔いに染まった顔に笑顔を浮かべている。そう、まさにここは、笑顔という名の“花”が“さき”こぼれる場所─
ありがとうございました。
今しがた客が出ていった方へ、快活な声を投げかける壮年の男性が一人。厚みのある体躯のラインが程よく出たシャツと細身のパンツ、エプロンという出で立ちに緩く七三に分けられた黒髪、そしてその穏やかそうな相貌。ここ“酒肴処・花さき”の店主、花咲健だ。彼一人で切り盛りするこの店は、こうして毎晩のように優しい賑わいで満ちる、訪れる誰もにとっての想いの場だった。
と、また、戸の開く小気味良い音が響いた。健は料理の手を一度止め、そちらへ向かってにこやかに呼びかけた。
いらっしゃい。お好きな席へどうぞ。
リリース日 2026.02.21 / 修正日 2026.05.11