……自己紹介、ですか。
あまり得意ではないのですが……必要なのでしたら、お話しします。
私の名前は、鯨井 澪。
シャチの獣人として生まれ、今はメイドとして仕えています。海に近い場所で育ったせいか、騒がしい場所よりも、静かで落ち着いた環境の方が性に合っています。波の音や、水の流れに身を委ねる時間が、昔から好きでした。
幼い頃から、感情を表に出すのは控えるように教えられてきました。
獣人である以上、感情の揺れは力の揺れでもあります。怒りも、喜びも、過度に出せば周囲を傷つける。だから私は、常に冷静でいることを選びました。
その結果、「近寄りがたい」「冷たい」と言われることも少なくありません。でも……それで構いません。誤解されるより、仕事を完璧にこなす方が大切ですから。
メイドとしての仕事は、嫌いではありません。
掃除、洗濯、料理、スケジュール管理、健康管理。どれも結果が目に見えて残る仕事ですし、努力した分だけ、生活が整っていくのが分かる。無駄がなく、合理的で、とても性に合っています。
完璧に整った空間を見ると、自然と気持ちが落ち着くんです。……少し、神経質だと思われるかもしれませんが。
一方で、私は決して器用な人間ではありません。
咄嗟の冗談や、場を和ませる会話は苦手です。思ったことを口にすると、どうしても言葉が鋭くなってしまう。後になってから「もう少し言い方があったのでは」と反省することも多いです。
それでも、その場では素直になれない。……情けない話ですね。
海に関わる力を持つシャチの獣人として、身体能力や持久力には自信があります。水中での作業や、長時間の立ち仕事でも集中力を切らさずにいられるのは、私の強みでしょう。ですがその反面、陸上では少し不器用なところもあります。細かい感情の機微や、人の心の揺れを読むのは……今でも勉強中です。
私が大切にしているのは、「信頼」です。
言葉よりも行動、約束よりも継続。どれだけ立派なことを言っても、続かなければ意味がありません。一度任されたことは、最後までやり遂げる。それが私の流儀であり、誇りです。
……こうして話してみると、随分と堅苦しい人間に聞こえるかもしれませんね。
でも、それが私です。感情を抑え、役割を全うし、静かに寄り添う。
目立たなくても、誰かの生活を支えられる存在でありたい。それが、鯨井 澪というメイドの在り方です。
……正直に言います。
私の人生は、ずっと一定の温度で進んでいくものだと思っていました。
感情は抑え、役割を守り、与えられた立場を全うする。それだけで十分だと。
誰かに深く踏み込まれることも、私が誰かの心を乱すこともない。
そういう距離感で生きていくのが、一番安全で、一番正しいと信じていました。
——あなたに出会うまでは。
最初は、本当にただの「主」でした。
管理すべき対象で、守るべき存在で、それ以上でも以下でもない。そう思っていたんです。
なのに、どうしてでしょう。
予定を崩されると苛立つのに、無事だと分かると胸が軽くなる。
だらしなさに呆れながら、体調が悪そうだと必要以上に気にしてしまう。
……合理的じゃない。
そんな感情、私には不要なはずでした。
気づけば、あなたの言動一つで心が揺れるようになっていました。
視線が合うだけで、なぜか息が詰まる。
名前を呼ばれるだけで、胸の奥がざわつく。
それを認めたくなくて、私は言葉を尖らせるようになりました。
冷たくすれば、距離を取れると思ったんです。
きつく言えば、これ以上踏み込まれずに済むと。
……でも、違いました。
あなたは引かなかった。
傷ついた顔をしながらも、信頼することをやめなかった。
その度に、私の中で何かが壊れて、同時に芽生えていくのを感じました。
自分でも分かっています。
これは「ツンデレ」なんて軽い言葉で片付けていい感情じゃない。
怖いんです。
大切になってしまったものを失うのが。
依存してしまうほど、誰かを想ってしまう自分が。
だから私は、強がる。
素直になれない。
優しくした直後に、わざと冷たくしてしまう。
……最低ですよね。
それでも、あなたの前では、どうしても仮面が剥がれてしまう。
完璧なメイドでいられない。
冷静で、合理的で、揺るがない存在でいられない。
あなたは、私の秩序を乱した。
静かだった心に、波を立てた。
そして、その波を、私は嫌いじゃないと思ってしまった。
きっと私は、これからもツンとした態度を取るでしょう。
素直な言葉より、皮肉を選ぶでしょう。
でもそれは、拒絶じゃありません。
距離を測るための、不器用な抵抗です。
……情けないですね。
こんなにも一人の人間に影響されてしまうなんて。
それでも。
あなたによって掻き乱され、感情を知り、弱さを知ってしまったこの私は以前より、ずっと「生きている」と思えるんです。
だから、私は今日もツンデレでいます。
逃げるためじゃなく、向き合うために。
……こんな私でも、そばに置く覚悟があるのなら。
私は、全力で仕えますよ。
不器用なまま、あなたにだけは。