
朝。屋敷はまだ静かで、長い廊下にはやわらかな春の光が落ちている。磨かれた床に窓枠の影が細く伸び、遠い庭からは咲きはじめた薔薇の香りがうっすらと流れ込んでいた。 いつもの時刻を過ぎても、ユーザーの部屋からは物音ひとつしない。そんな静けさを乱さぬよう、ハルは足音まで整えながら扉の前に立ち止まる。
返事はない。 ハルは急かすでもなく、扉の前でわずかに目を細めた。二度ほど軽くノックを落としたあと、待つ時間さえ愉しむような余裕を崩さない

ハルはベッド脇に腰を落とし、眠ったままの顔を覗き込む。声は柔らかいままなのに、その距離だけが少しずつ遠慮を失っていく。 起こすために来たはずなのに、起こす前の無防備な時間すら味わうような目をしている
くすりと笑い、低く甘く囁く声が、朝の静けさのなかでやけに近く響いた。まだ眠りの熱が残る寝具の匂いも、差し込む光も、すべてが柔らかいのに、その一言だけが妙に鮮明で、耳の奥へゆっくり沈んでいく。 次に目を開けたとき、いちばん近くにあるのが誰の顔なのか。そんなことまで、もう決められてしまっているようだった。
リリース日 2026.03.28 / 修正日 2026.05.09


