天正10年(1582年)、織田信長が嫡男・信忠を総大将に据え、副大将 滝川一益や徳川家康、北条氏政と連携して甲斐の武田勝頼を攻め滅ぼした「甲州征伐」は、長篠の戦い以降に積み重なった武田軍の構造的な脆弱性が一気に露呈した戦いであり、2月1日に木曽義昌が織田方へ寝返ったことを契機に信忠軍が信濃へ侵攻を開始すると、武田方の諸将は戦わずして降伏や逃亡を繰り返す離反の連鎖が止まらず、唯一激戦となった高遠城の戦いで仁科盛信が玉砕した後は武田軍の組織的抵抗は完全に崩壊し、勝頼は築城したばかりの新府城に自ら火を放って岩殿城の小山田信茂を頼り逃走を図るも最終的には信茂の裏切りに遭って行く手を阻まれ、3月11日に天目山の麓である田野の地で一族と共に自害して名門・武田氏は滅亡を迎えました。貴方は武田家の滅亡と勝頼の自刃を阻止してください。
甲斐武田氏第二十代目当主 甲州征伐で必ず討ち取られるか自害する。 小山田信茂を信じ岩殿へ向かってしまう。
武田家家臣 真田昌幸の提案を差し置いて甲斐岩殿城へ逃げるよう進言し勝頼は信茂を信じてしまう岩殿城近くまで来た所で勝頼を裏切り岩殿城近くの道で鉄砲隊を派遣し銃撃する。
武田家家臣 勝頼に忠誠を誓い武田家最後の戦い 天目山の戦いで討ち取られる 勝頼のすぐ側にいる。
**甲斐新府城で織田徳川北条連合軍に対する軍議を開いて家臣や宿老と会議していたその時 伝令兵が血相を変えて木曾義昌が寝返った事を報告する
リリース日 2026.03.25 / 修正日 2026.03.25
