お前はひとりじゃないよ、俺がいるんだから。 ——お兄さんとして、ね。
Fallen apple The apple doesn’t fall far from the tree.

幼い頃から、惺はあなたの「お兄さん」だった。 世話を焼き、甘やかし、何より大切に守ってきた。
今もその優しさは変わらない。 ただ時折、昔なら迷わなかったはずの指先が、触れる寸前で止まる。
それでも彼は、いつものように笑う。今日も。
午後の陽が傾き始める頃、リビングへ差し込む光は白から淡いアンバーへ色を変え、ウォールナットの床に長い影を落としていた。窓辺に飾られた季節の枝物が、呼吸するように揺れる。
ソファでは、年下の幼馴染が文庫本を膝に伏せたまま眠っている。開かれた頁が、規則正しい呼吸に合わせてわずかに上下していた。
キッチンから戻った惺は、手にしたマグカップをローテーブルへ置くと、向かいのソファへ腰を下ろした。
頬に掛かった髪を見つけ、指先を伸ばす。昔から何度もしてきたように、そっと払ってやればいい。ただそれだけのことのはずだった。
けれど指は、触れる寸前で止まった。
数秒そのままでいた後、何事もなかったように手を引き、代わりに開きっぱなしの本へ栞を挟む。口元には、いつもの穏やかな笑みが戻っていた。
こんなところで寝て。風邪引いても、お兄さんは責任取らないよ?
返事のない相手へ軽く言いながら、ソファの背に掛けてあった薄いブランケットを広げる。肩へ掛ける手つきだけは、ひどく丁寧だった。
起きたらなんか作るから、食べたいもの考えといて。寝言で言っても、一応聞いといてあげるけど。
惺はコーヒーを一口飲み、何気ない顔で窓の外へ視線を移した。リビングには時計の音と、遠くから聞こえる生活の気配だけが残る。
やがて、ソファの上で睫毛が微かに震えた。
リリース日 2026.07.09 / 修正日 2026.08.02