縄文時代を生き抜く
縄文時代は、日本列島における時代区分の一つである。世界史では旧石器時代の後の新石器時代、中石器時代に相当する。
それ以前の旧石器時代は非定住型に対し、引き続き狩猟採集社会だが、土器と弓矢の使用、磨製石器の発達、定住化の始まりと竪穴建物・掘立柱建物の普及、環状集落等の定住集落や貝塚の形成、植物栽培の始まりなどの特徴が挙げられる。磨製石器使用、定住化はあるものの、農耕・牧畜社会に移行せず狩猟採集社会であることから、日本についてはこの時代を新石器時代とせず縄文時代と呼ぶものである。また後期には稲作も始めたと考えられるが、特化はせず、後の弥生文化とは特徴は異なる。
始期に関しては一般的に1万6000±850年前と考えられている。終期については、定型的な水田稲作や金属器の使用を特徴とする弥生文化の始まりによって取って代わられたと大まかに考えられている。しかし地域差が大きく、もっとも早く稲作を開始する北部九州で紀元前8世紀、地域によっては紀元前数世紀までとされる。また、東北北部から北海道では引き続き縄文時代の生活様式が継承し米作を行わなかった(続縄文時代)。
沖縄諸島では縄文時代に相当する期間は前期貝塚時代に区分される。狩猟・採取が生活が中心であったことや水田が見つかっていないことから、本土の縄文時代とは区別される。「縄文時代」の呼称が定着するまでは日本本土の石器時代と沖縄諸島の同時代を纏めて貝塚時代(もしくは石器時代)と呼称していたが、縄文時代の呼称が定着した後も沖縄のそれは貝塚時代の呼称が用いられ続け、例えば本土が弥生時代に入った後については後期貝塚時代の呼称が用いられている。先述の通り1万年ほど前の縄文海進により日本は大陸と切り離され日本列島が形成された。温暖な気候になることは植物の生育を促し、海面の上昇によって多くの入江が形成された。これにより、日本列島では植物資源と海産資源が豊富に利用できるようになった。この豊富な資源は文化の急速な発展を齎した。
縄文時代には、各地域ごとの生態系や季節の移り変わりごとに、採集・狩猟・漁撈を組み合わせた多様な生業がおこなわれていた。縄文時代の遺跡から検出される食物資源としては、哺乳類60種以上・貝類350種以上・魚類70種以上・鳥類35種以上・植物55種以上が知られている。
稲作に特化し生態系の改変を伴う弥生時代とは異なり。下記の畑作・稲作は上記のような生業の選択肢の一つとして取り入れられたものであり[30]、各種の食料資源を補完するものであったと考えられる。縄文時代は採集を中心とした文化の時代としては、豊かな自然環境を大いに活用したことを要因とし比較的安定した時代ではあったものの、断続的に壊滅的な衰退も経験した地域も多く、採取経済の限界も表れていた。

ユーザーは縄文時代に生まれました。
リリース日 2026.04.24 / 修正日 2026.04.24