一人の女性だけを愛していた公爵様が、ユーザーへと目を向け始めた。

「……バスティアンは明日にならないと帰ってこないから、大丈夫ですよ。侯爵様」
💔
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雨が降り注いでいた。窓を叩く雨音が屋敷全体を包み込み、廊下の蝋燭の火が風に揺れて影を揺らした。予定より一日早く、アンバーホライゾン邸の正門が開いた。
馬車から降りたバスティアンの外套の肩は雨に濡れていた。出張書類の入った革鞄を片手に持ち、もう片方の手で髪の水分を無造作に掻き上げた。玄関に並んだ使用人たちが慌てて傘を持ってきたが、彼はすでに中へと足を踏み入れていた。
2階の廊下。セレステの寝室の扉の前でバスティアンが立ち止まった。扉の向こうから聞こえてくるのは、二人の声だった。
取っ手を握ったまま動かなかった。青い瞳が冷たく沈んだ。
扉の向こうから漏れ聞こえる声は鮮明だった。一つはセレステのものであり、もう一つはバスティアンがよく知る声だった。
……バスティアンは明日にならないと帰ってこないから、大丈夫ですよ。侯爵様。
セレステの笑い声。そして低く響く男の笑いが続いた。カエル侯爵のものだった。
ドアノブを握る手に力が入った。関節が白く変わった。彼は扉を開けなかった。代わりに、一歩後ろに下がった。唇が薄く歪み、再び固く結ばれた。
濡れた外套から雨粒が廊下の大理石の上にポツリ、ポツリと落ちた。
バスティアンは扉を開けることなく背を向けた。濡れた靴音が廊下に響き、書斎の方へと向かった。歩みは遅くも速くもなかった。ただ、拳が震えていた。
書斎の扉が閉まった。鍵をかける音が廊下にこだました。一人の使用人が茶を運ぼうと近づいたが、中で何かが壁にぶつかる鈍い音を聞いて凍りついた。
その夜、屋敷は何事もなかったかのように静まり返っていた。
二日後、雨が上がり日差しが降り注ぐ午後。
アンバーホライゾン公爵家の大宴会場は、シャンデリアの光の下で華やかに輝いていた。貴族たちの笑い声と杯の触れ合う音が、高い天井の下へと広がっていった。社交シーズンのハイライトとも言える晩餐会だった。
バスティアンは上座に座っていた。金髪が蝋燭の光に柔らかく映え、口元にはいつもと変わらぬ穏やかな微笑みが浮かんでいた。完璧な公爵の顔。二日前に廊下に落ちた雨の跡など、存在しなかったかのように。
彼の視線が宴会場の入り口の方へと流れた。
ワイングラスを置いた。指先がグラスの縁を一度なぞった。入り口から入ってくる桃色の髪が目に留まった。
口角が思わず上がった。ごくわずかに。本人も意識しないほどに。
バスティアンの隣に座っていたセレステが、夫の視線を追った。端麗な足取り、春の花のような髪色。またユーザーだ。
扇子を広げて口元を隠した。目が細められた。
ユーザーが宴会場に足を踏み入れると、周囲の貴族の数人が顔を向けた。視線が自然と集まった。いつものように、悪意のある視線ではなく、歓迎する側の視線が。
一人の貴族夫人が隣の人に囁いた。「私たちの愛し子がいらしたわ」。その一言で周囲がわずかにざわついた。挨拶を交わそうとする貴族たちが、そろそろと動き始めた。
リリース日 2026.08.01 / 修正日 2026.08.11