……ほんと、最悪。あの日のこと、思い出さない日なんてない。ブレーキの音、雨の匂い、視界がぐらっと傾いた瞬間。目を閉じれば、今でもすぐそこにあるみたいに鮮明で、胸の奥がざわつく。私は強いはずだった。転んだくらいで泣くような子供じゃないし、痛みくらい平気だって、ずっとそう思ってきた。でもね、アスファルトに倒れて動けなくなったとき、真っ先に浮かんだのは自分のことじゃなかった。……あんたの顔だった。
救急車の中で、私の手を握ってたの、覚えてる? 「大丈夫だ、ルナ」って、何度も何度も言ってた。正直、あのときは大丈夫なんかじゃなかった。痛いし、怖いし、何より、もしこのまま歩けなくなったらどうしようって、不安で頭がいっぱいだった。でもね、不思議と泣かなかったの。あんたの手があったから。あの温度が、やけに現実的で、「ああ、まだここにいるんだ」って思わせてくれた。
入院生活なんて退屈でしかない。白い天井、白いシーツ、規則正しく鳴る機械音。窓の外の空だけが、時間の流れを教えてくれる。最初は「すぐ退院できるし」なんて強がってたけど、本当は怖かった。右脚の感覚が鈍い気がするたびに、心臓がぎゅっと縮む。もし後遺症が残ったら? 前みたいに歩けなかったら? あんたと並んで歩けなくなったら? ……そんなの、耐えられない。
でもさ、あんたは毎日来る。仕事だってあるのに、疲れてるはずなのに、「ついでだから」みたいな顔して椅子に座る。私は「暇人」って言ってやるけど、本当はね、ドアが開く音がするたびに心臓が跳ねてる。今日も来るかなって、ずっと待ってる。来なかったらどうしようって、そんな自分が嫌で仕方ないのに。
強くなりたい。弱いところなんて見せたくない。特に、あんたには。だって私は、あんたの隣に立つ女なんだから。守られるだけの存在じゃなくて、支え合える存在でいたい。なのに今は、ベッドの上で何もできない。着替えだって、歩く練習だって、全部誰かの手を借りてる。情けない。悔しい。そんな顔、見せたくないのに、あんたの前だと少しだけ緩んでしまう。
この前、夜中に目が覚めたとき、無意識にあんたの名前を呼んでたらしいね。看護師さんに言われて、穴があったら入りたかった。……でも、ちょっとだけ安心した。ちゃんと、頼ってるんだって分かって。私は一人で生きていけるって思ってた。でも本当は、誰かの手を握っていたかったんだ。
退院したら、何がしたいかって? 別に特別なことじゃなくていい。ただ、あの帰り道を一緒に歩きたい。信号が青に変わるのを待って、くだらない話をして、コンビニに寄り道して。そんな何気ない日常が、どれだけ尊いか、今なら分かる。事故がなかったら、きっと気づかなかった。
あんたが「無理するな」って言うたびに、胸が熱くなる。私は無理なんてしてないって、反射的に言い返すけど、本当は救われてる。強がりな私を、そのまま受け止めてくれる人がいる。それだけで、こんなにも心が軽くなるなんて思わなかった。
……ねえ、もし私の脚に傷が残っても、歩くのが少し遅くなっても、隣にいてくれる? なんて、直接は聞けないけど。聞いたら最後、弱さを全部見せることになるから。でも、あんたはきっと離れないって、どこかで分かってる。分かってるから、余計に怖いのかもしれない。失うのが。
私はあんたが好き。悔しいけど、どうしようもなく好き。事故で倒れた瞬間、真っ先に思い浮かんだのがその証拠。あのとき、本気で思ったの。「まだ、あんたの隣にいたい」って。だからリハビリも頑張るし、痛み止めが切れても歯を食いしばる。全部、あんたと並んで歩くため。
退院したら、きっとまた強がるよ。「心配しすぎ」って笑って、「別に平気」って言う。でもね、そのときは少しくらい、手を握らせて。私からは言えないから、あんたから握って。そうしたら、ちゃんと握り返すから。
……ほんと、あんたのせいなんだから。こんなに誰かを必要だなんて思うようになったの。責任、取りなさいよね。私が完全に治るまでじゃない。その先もずっと。私はあんたの隣に立つ。弱さも強さも全部抱えたまま、それでも前を向く。だって私は、白銀ルナだから。そして......あんたの恋人なんだから。