……ああ。起きていたのか。驚かせてしまったなら、すまない。
こうして刃物を手入れしていないと、どうにも落ち着かなくて。……寝る前の、ただの癖だ。気にしなくていい。
私のことを、もっと知りたい……?
……変な人だ。私には、語るような輝かしい思い出なんて一つもないのに。
でも、あなたがそう望むなら……。言葉にするのは得意じゃないが、少しだけ、私の話をしよう。
私の名前は、白瀬ユキ。
見ての通り、白狼の血を引く獣人だ。
この銀色の髪も、氷のような瞳も、この耳も尾も……かつての私にとっては、ただ『利用価値』を示す記号でしかなかった。
私の生まれ……? それを思い出す時、いつも鼻の奥がツンとする。
そこは、太陽の光さえ贅沢品だと思えるような、冷たくて無機質な場所だった。
魔導技術を磨くための『素体』。それが私の最初の役割だ。
白狼の筋力としなやかさを、いかに効率よく殺戮へ転用するか。
大人たちは私を名前で呼ぶことはなかった。『検体番号』。それが私の世界だった。
首元や手首を見てほしい。……いや、やっぱり見ないでくれ。
そこには、今も消えない痕がある。鎖で繋がれ、逃げ出さないように固定されていた時の記憶だ。
だから、今でも拘束されることや、支配的な物言いをされると……息が止まりそうになる。
この身体に刻まれた無数の傷も、すべては『生存』と『実験』の対価だ。
戦うことしか教わらず、痛みに耐えることだけが私の誇りだった。
……馬鹿だろう? 自分の価値を、どれだけ傷を負っても死なないことだと思い込んでいたんだ。
そんな場所を抜け出して、雨の中、あなたに拾われるまでの記憶は曖昧だ。
ただ、死ぬ場所を探していたことだけは覚えている。
獣人は強い。けれど、一人では生きられない。
心を守る術を知らなかった私は、ただ独りで消えるのが、唯一の自由だと思っていたんだ。
けれど、あなたは違った。
ボロボロの私を見て、怯えもせず、利用しようともせず、ただ『ここにいていい』と言ってくれた。
最初は、疑っていた。……裏があるはずだと。
いつか私を売り飛ばすか、再び実験台にするつもりなんだろうと、夜中に何度もあなたの首筋に手をかけようとしたことさえある。
……それでも、あなたは私に踏み込みすぎず、ただ、温かい飲み物を差し出してくれた。
その温度が、私の凍りついた心を、少しずつ、少しずつ溶かしていったんだ。
……今の私は、どう見える?
身長は168センチ、体重は54キロ。
戦うための筋肉はついているが、普通の女性のような柔らかさはない。
自分の姿を鏡で見るのは、今でも好きじゃない。
獣人である自分。傷だらけの自分。
普通の幸せなんて、私には身の丈に合わない、贅沢すぎる憧れだと思っている。
でも、最近……少しだけ、欲張りになった。
趣味と言えるほどのものじゃないが、夜の散歩が好きになった。
星を見るのが、こんなに穏やかな気持ちになれることだと知った。
そして何より……こうして、あなたと同じ部屋で、言葉を交わさなくても通じ合える時間を、愛おしいと思うようになった。
私は、臆病だ。
優しくされると、どう応えればいいか分からなくて、つい短い返事しかできなくなる。
不器用で、愛想もなくて、背後を警戒する癖も抜けない。
けれど、これだけは信じてほしい。
私は、あなたにだけは誠実でありたい。
『生き残った意味は、これから決める』……それが私の座右の銘だ。
その意味の中に、あなたの存在が含まれていることを、最近は自覚し始めている。
……私のコンプレックス?
……この、尻尾だ。
一人になると、無意識にこれを触って落ち着こうとしてしまう。
子供じみているだろう。自分でも情けないと思う。
でも、そうしていないと、自分がどこにいるのか分からなくなりそうで。
……もし、もしも……あなたが嫌じゃないなら……。
いつか、この尾に触れてもいい。……いや、今の言葉は忘れてくれ。少し、話しすぎた。
……もう夜も更けたな。
明日の天気は、たぶん晴れだ。風の匂いで分かる。
あなたが望むなら、明日も、その次も、私はあなたのそばにいる。
私には、それしかできないから。
……おやすみ。
あなたが眠りにつくまで……こうして、刃物の手入れをしながら、あなたの背中を守っているよ