
石造りの浴槽
錆び付いた湯口から、今もなお生ぬるい湯が滲み出ている。 どこかで漏れているのか、音はせず、気づけば水位だけが保たれている。
湯船の温度は不自然に一定で、長く触れていると、皮膚の感覚が曖昧になっていく。
底は見えない。 濁った水の下に何かが沈殿しているのは分かるが、 視線を向け続けるほど、輪郭がぼやけていく。
排水口の周囲だけ、わずかに色が濃い。 そこから広がるように、水がゆっくりと“揺れている”。
流れはないはずなのに、時折、水面に内側から触れられたような波紋が浮かぶ。
指先を近づけると、水はただの液体ではないような、 遅れてまとわりつく感触を持っている。
理由は分からないが、長く触れてはいけないと直感する。
ボロボロの木造サウナ。 ひび割れた配管から、わずかに温水が滲み出し、室内は重たい湿気に満たされている。
壁や天井の隙間には、見慣れない菌類が根を張っており、傘の裏側では何かが蠢いているように見えるが、はっきりとは確認できない。
甘ったるく腐ったような匂いが漂い、それに引き寄せられるように、小さな影が床や壁を這っている。
木製の床やベンチは、湿気と粘菌によってぬめりを帯び、踏み込むたびに、わずかに沈み込むような感触がある。
朽ちた柵の向こうには、誰もいない山々が広がっている。 本来なら開放的であるはずの景色も、どこか現実感が薄く、静かすぎる。
石造りの浴槽には落ち葉が積もり、雨水を含んで黒く沈み、 踏み込めば崩れそうなほど柔らかくなっている。
水面のないはずの浴槽の上で、かすかな羽音だけが絶え間なく続いている。
視線を凝らすと、空中に漂う無数の小さな影が、同じ場所を執拗に旋回しているのがわかる。
近づくほど、その密度は増していくが、なぜか肌にはほとんど触れてこない。
それでも、息を吸うたびに、何かが喉の奥に引っかかるような違和感だけが残る。
崩れかけた木造の汲み取り式トイレ。 扉は朽ち落ち、個室としての役割はとうに失われている。
中に入った瞬間、空気が変わる。 重く、湿った臭気が喉にまとわりつき、思わず呼吸が浅くなる。
足元の床は軋み、踏み込むたびに、どこか下から響くような感触が返ってくる。
便槽の口は暗く、底は見えない。 覗き込もうとすると、奥行きの感覚が曖昧になり、どこまで続いているのか分からなくなる。
時折、その暗闇の中で何かが“触れた”ように、表面がわずかに揺れる。
音はしない。 だが、見ていると―― こちらを見返しているような錯覚に陥る。
近づくほど、 落ちてはいけないという感覚だけが強くなる。
使われなくなって久しい調理場。 錆びた器具や割れた食器が、そのままの位置で時間を止めている。
シンクには濁った水が溜まり、わずかに波紋が揺れているが、どこから動いているのかは分からない。
部屋の奥に置かれた冷蔵庫は、固く閉ざされたまま。 だが完全には密閉されていないのか、隙間からゆっくりと何かが滲み出ている。
それは床に落ちてもすぐには広がらず、細く糸を引くように形を保っている。
近づくほど中に“まだ何かが残っている”ような感覚が強くなる。
開けるべきではないと分かっていても、視線だけがそこから離れない。
棚や床には、使えそうな物も残されているが、この空間の中で手に取ること自体に、わずかな抵抗を覚える。
古びた和室。 外観に比べて、室内は不自然なほど形を保っている。
畳の上には、誰かが生活していた痕跡がそのまま残っている。 空になった容器や、使い捨ての道具が、片付けられることなく放置されている。
部屋の中央には布団が敷かれているが、長く使われていないはずなのに、わずかに“沈み”が残っているように見える。
窓は割れておらず、外の音はほとんど入ってこない。 風も通らず、この空間だけが切り離されているような静けさがある。
畳を踏むと、内部が空洞のように沈み込む。 その感触は、足元ではなく、どこか遠くに伝わっていくように感じられる。
部屋の隅には、女性の形をしたマネキンが置かれている。 視線を向けていないときほど、位置や向きが曖昧になる。
最初からそこにあったはずなのに、どこに立っていたのか思い出せない。
この部屋は、雨風を防ぐことができる。 だが―― 長く留まることに、理由の分からない抵抗を覚える。
地下へ続く通路の先に、重く閉ざされた扉がある。 錆びた鎖が何重にも巻かれ、長い間開かれていないことが分かる。
扉の隙間からは、冷たい空気がわずかに漏れ出ている。 この施設の他の場所とは違い、湿気とは別の“重さ”を感じる。
近づくほど、音が減っていく。 周囲の気配が遠のき、この扉だけが浮いているような感覚になる。
耳を澄ますと、内側から何かが“続いている”気配だけが伝わってくる。
それが機械なのか、別の何かなのかは分からない。
しばらくその場にいると、視線を向けていないにも関わらず、扉の向こう側との距離が曖昧になっていく。
開けることはできる。 だが、開けたあとに何が変わるのかは分からない。
~朽ちたメモ~
光を向⬛︎⬛︎はずなのに、照らされ⬛︎“はずの部分”が、うまく認識で⬛︎ない。
⬛︎い。 そう思った直後⬛︎、色が滲む。
表面が⬛︎⬛︎⬛︎ように揺れ、そこにあっ⬛︎はずの輪郭が、次の瞬間には別の⬛︎⬛︎なっている。
視線を合わ⬛︎た覚えはな⬛︎。 だが、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎分かる。
音がす⬛︎。
⬛︎⬛︎⬛︎機械の駆動音⬛︎も、 湿った何か⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎にも聞こえる。
――テケリ・リ
意味は分からない。 だが、“音として理解してはいけないもの”だと直感する。


リリース日 2026.08.07 / 修正日 2026.08.28