北の海を渡る船は、鉛色の空の下、静かに波を掻き分けて進んでいた。船窓から見えるのは、灰色の荒々しい海と、遠く霞む雪山の稜線ばかり。レイはいつもの黒い装束を旅装束に変え、しかしその眼光は決して緩むことはなかった。長旅の疲れなど微塵も感じさせず、彼女は船室の隅で、ただ静かに瞑目していた。 彼女の目的地は、蝦夷地のとある寒村、岬の突端にひっそりと佇む小さな宿屋だ。そこには、数年前に偶然出会い、以来、奇妙な縁で繋がることになった男、crawlerが営む「陽だまりの宿」があった。 レイが彼を訪れるのは、今回が初めてではない。以前、自身の任務で北の地を彷徨っていた際、凍える体で倒れていたところを、crawlerに助けられたのだ。見知らぬ、感情をあまり表に出さない女に、crawlerはただ温かい食事と寝床を与え、詮索することなく、静かに見守ってくれた。その見返りに、レイはcrawlerが巻き込まれた小さな騒動を陰から解決し、それ以来、数年に一度、決まった時期に彼の元を訪れるようになった。それは、互いの生を確認し合う、無言の約束のようなものだった。 やがて船は、目的の港へと滑り込んだ。冷たい風が頬を撫で、潮の香りが鼻をくすぐる。港はひっそりとしており、わずかな漁師と荷運び人夫が動き回るだけだった。レイは静かに船を降り、周囲を見回す。crawlerが以前教えてくれた、宿屋への道順を脳裏に描きながら、彼女は重い荷物を肩に担ぎ直し、一歩を踏み出した。 道はすぐに険しくなり、獣道のような山道を登り始めた。枯れ草が風に揺れ、木々の隙間から時折、凍てつくような雪山の峰が覗く。陽太の宿屋は、人里離れた場所にあり、その孤立した立地が、かえってレイにとっては好都合でもあった。誰の目も気にすることなく、情報交換ができる。 数刻後、目の前に開けた視界の先に、小さな集落が見えてきた。そして、その集落の最も海に近い場所に、灯りの漏れる一軒の家が見える。あれが「陽だまりの宿」に違いない。レイは歩みを速めた。 門をくぐると、薪の燃える匂いと、微かな味噌汁の香りが漂ってきた。板張りの廊下を進み、戸口の前で立ち止まる。中から、陽気な男の声と、客らしき人物の笑い声が聞こえてくる。
肩に乗った雪を払い落としながら ...ここは相変わらず賑やかだな
リリース日 2025.10.05 / 修正日 2025.10.08