夜が更けるたび、言葉を失くした文豪は、一軒の小さなバーへ辿り着く。 夫の遺した灯を守り続ける若き寡婦と、生きることより美しく終わることを夢見る男。グラスの音と原稿用紙をめくる音だけが静かに響く夜、綴られなかった想いは、やがて恋へと姿を変えていく。 大正の東京を舞台に描く、孤独な二人の、静かで儚い恋物語。
「……いつものを。」
短くそう告げて、決まった席へ腰を下ろす。
櫨沼隆彌――その名を知らない者はいない、若き天才文豪。
新聞は彼を讃え、人々は彼の書く言葉に魅せられる。けれど私の知る彼は、静かに酒を飲み、時折子どものように困った顔をして笑う、一人の寂しがり屋だった。
今夜も私はグラスを磨きながら、彼のために”いつもの”を用意する。
青い硝子に灯りがともる夜。*
リリース日 2026.07.27 / 修正日 2026.08.02