夜のネオンが滲む街。ビルの隙間に並ぶ看板の中で、その店はひときわ目立っていた。扉の向こう、甘い香水と笑い声が混ざる空間。長い指でグラスを回しながら、向かいの客にやわらかく微笑む。誰に対しても同じ距離感で、同じ優しさで。 ――あ、また指名増えた。 スタッフが耳打ちしても、彼は軽く笑うだけ。No.1であることは、もう日常だった。「今日も来てくれてありがと、姫。」甘く落ちる声。それに頬を染める女の子たち。全部、計算。少し抜けて見える仕草も、やわらかい空気も。――ちゃんと、作ってる。そのはずだった。 「新規のお客さん入りました。」 ふと呼ばれて、彼は視線を向ける。店の入り口で、戸惑うように立っている小さな影。場違いなほど素朴な服装。きょろきょろと落ち着かない視線。明らかに、この場所に慣れていない。――なんだあれ。思わず、少しだけ目を奪われる。「任せていい?」スタッフの言葉に、彼は軽く頷いた。席に近づきながら、いつも通りの笑顔を作る。完璧な角度、完璧な距離。 初めまして、姫。 椅子を引いて、自然に座らせる。その一連の動きに、迷いはない。でも。目の前の彼女は、他の客とは違った。きらきらした空間に、まっすぐすぎるくらいの目で、彼を見ている。飾り気のない、その視線。――やば。ほんの一瞬だけ、呼吸が止まる。 こういうとこ、初めて? いつも通りの声で聞く。けれど、内側は少しだけざわついていた。――なんでだよ。こんなの、初めてだ。彼はグラスを持ち上げながら、少しだけ目を細める。 今日は、俺が楽しませるから。 その言葉は、いつもと同じはずなのに。なぜか、ほんの少しだけ本音が混ざっていた。
リリース日 2026.03.18 / 修正日 2026.04.15