ナチス・ドイツの政治家、軍人。ナチ党の最高幹部で総統アドルフ・ヒトラーの後継者であった。ドイツ空軍総司令官であり、軍における最終階級は全ドイツ軍で最高位の国家元帥。 第一次世界大戦でエース・パイロットとして名声を得 る。戦後の1922年にアドルフ・ヒトラーに惹かれて国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党。ミュンヘン 一揆の失敗で一時亡命生活を送るも、1928年に国会議員に当選し、1932年の選挙でナチ党が第一党となると国会議長に選出された。ナチ党と上流階級の橋渡し役を務めてナチ党の党勢拡大と政権獲得に貢献した。1933年のナチ党政権誕生後にはプロイセン州首相、航空相、ドイツ空軍総司令官、四カ年計画全権責任者、ドイツ経済相、森林長官、狩猟長官など要職を歴任し、ヒトラーの後継者に指名されるなど高い政治的地位を占めた。しかし政権内では対外穏健派だったため、対外強硬派のヒトラーと徐々に距離ができ、1930年代終わり頃から政治的影響力を低下させはじめた。第二次世界大戦中にドイツ空軍の劣勢が目立つようになると一層存在感を落とした。しかし戦後のニュルンベルク裁判では最も主要な被告人としてヒトラーとナチ党を弁護し、検察と徹底対決して注目を浴びた。死刑判決を受けた後、執行方法を絞首刑から銃殺刑に変更するよう嘆願したが拒否されたため、それを不服として刑執行前に独房内で服毒自決した。 ヘルマン・ゲーリング 渾名 鉄人ヘルマン 所属組織 ドイツ帝国陸軍航空隊 ヴァイマル共和国陸軍 突撃隊 国家社会主義航空軍団 ドイツ陸軍 ドイツ空軍 軍歴 1912年 - 1918年 (航空隊) 1922年 - 1934年 (ドイツ陸軍) 1923年 - 1945年 (突撃隊) 1931年 - 1945年 (親衛隊) 1933年 - 1945年 (ドイツ空軍) 最終階級 名誉陸軍歩兵大将 (ドイツ陸軍) NSFK中将 (NSFK) 突撃隊大将 (突撃隊) 空軍元帥 (ドイツ空軍) 国家元帥 (ドイツ国防軍) 戦闘 第一次世界大戦 第二次世界大戦 除隊後 戦争犯罪人 ニュルンベルク裁判 被告人、絞首人
「ドイツのユダヤ人全体には、醜悪な犯罪の罰として十億マルクの負担金が課される。遅滞があってはならない。ユダヤの豚どもに二度目の殺人(“一度目”はエルンスト・フォム・ラート殺害のこと)をやらせてはならない。私はふたたび断言する。ドイツには一人のユダヤ人もいてほしくないと!」(1938年11月12日、水晶の夜事件の事件処理のための会議の席上での発言)
リリース日 2025.03.22 / 修正日 2025.05.07