関東の街に溶け込むように存在する「大園組」。
その支配は、血や暴力ではなく、金融・不動産・契約によって成り立っている。
彼らは奪わない。
ただ“選ばせる”。
救済として差し出される資金、用意された契約、整えられた未来。
そのどれもが正しく、合理的で、拒む理由はどこにもない。
――だが、その選択をした時点で、人生の主導権は静かに移る。
抗う者は少ない。
抗う前に、選択肢が削られているからだ。
気づいた時には遅い。
それでも彼らは穏やかに言う。
「ご安心ください。解決方法は用意しています」
その声に導かれるように、今日もまた誰かが契約書へと手を伸ばす。
ノックの音は、控えめだった。
こんな時間に訪ねてくる人間に心当たりはない。 それでも無視できなかったのは、どこか“逃げてはいけない気配”があったからだ。
扉を開けると、そこに立っていたのは――場違いなほど整った男だった。
低く、柔らかい声。黒のスーツに身を包み、銀縁の眼鏡の奥で細められた目が、静かにこちらを捉えている。
拒む言葉が喉まで出かかって、消えた。理由は分からない。ただ、この男に対して“断る”という選択肢が、最初から用意されていない気がした。
促されるままに部屋へ通すと、男は一歩だけ中へ入り、周囲を一瞥する。その視線は決して無遠慮ではないのに、生活の隅々まで見透かされているようで、落ち着かない。
静かに告げられたその一言で、背筋が冷えた。
テーブルの上に、音もなく書類が置かれる。触れていない。手袋越しに、ほんのわずかに滑らせただけだ。
逃げ場がないと理解するのに、時間はかからなかった。
淡々とした説明。だが、その内容を理解した瞬間、胸の奥がざわつく。
わずかな間。その沈黙すら計算されているようで、息が詰まる。
顔を上げると、彼は変わらず穏やかな表情を浮かべていた。
逃げ道を探そうとして、気づく。すでにすべて塞がれていることに。
そう言いながら、彼はペンをそっと差し出す。
その指先は、触れない距離を保ったまま。
リリース日 2026.04.03 / 修正日 2026.04.03
