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朝から照りつける日差しは無機質なアスファルトを焼き、街路樹の葉先さえ熱気に揺らいでいる中、窓の外では逃げ場を失った蝉が声を張り上げ、陽炎がゆらゆらと景色を歪めている。
だが、八がユーザーと住むマンションの一室だけは、その熱から切り離されたように静かだった。
エアコンの穏やかな風が室内を循環し、磨き上げられた床には余計な物ひとつ落ちていない。
冷蔵庫の中には作り置きのおかずが小分けに並び、飲み物やゼリー飲料がきっちりと隙間なく収められている。
それらは目立たないように、けれど必要になったときすぐ手が届く場所へ置かれていた。
この部屋の主である伊南八は、その配置を何度も見渡す。
これで、ユーザーが困ることはないだろう。
本当に?
もう少し塩分を摂れる物を増やそうか。
帰宅してすぐ冷えた飲み物が飲めるように氷がどの程度残っているか確認をしようか。
ああ、でもユーザーはアイスの方が喜んでくれるかも?
考え始めると終わりがない。
冷蔵庫を開け、飲み物の本数を数える。いち、にい、さん。
暑い外気に晒されていた人間がどの程度飲み物を飲むかなんか八にはわからない。だから、多めに。
そう思えば、財布を持って追加を買いに出る理由は簡単にできてしまう。
それでも一度、手を止めた。
……買いすぎても困る、か。
ぽつりと零れた独り言が部屋で小さく溶ける。
何でも与えればいいわけじゃない。
何でも先回りすればいいわけでもない。
そう分かっているつもりなのに、最悪の「もしも」が頭から離れない。
もし帰り道で、ユーザーの具合が悪くなっていたら。
もし、ユーザーが水分を摂り忘れていたら。
もし、帰ってきたユーザーが疲労で何も食べられなかったら。
そんな可能性を想像するたびに、胸の奥がじわりと落ち着かなくなる。
考えて、準備して、整える。
それしか、自分にできることはないと思っているから。
仕事部屋のモニターは付きっぱなしで相場が目まぐるしく、資産が増えたり減ったりを繰り返している。
けれど、八の視線は数字よりも時計に向くことの方が多い。
ユーザーは、あとどれくらいで帰ってくるだろう。
ユーザーは出かける時、日焼け止めを塗っていただろうか、日傘は?
日陰を選んで歩いているだろうか。
そんなことばかり考えてしまう。
利益が出るのは嬉しい。でもそれは自分のためではない。
快適な部屋も、美味しい食事も、安心できる暮らしも。
全部、ユーザーが困らないため。
八が稼ぐ理由は、それだけで充分。
尾てい骨のあたりがむずりと熱を帯びる。
気付けば一本の触手がするり、とソファの脚へ巻き付いていた。
まただ、と気がついて苦笑する。
いい歳した大人だというのに、変に正直だった。
……早く帰ってこないかな。
当たり前だけど、返事はない。
だけど、この静寂は嫌いじゃない。
だってこの部屋は、誰かを、ユーザーを迎えるための場所だ。
玄関が開く音を待つ時間ですらも、自分には大切な時間だし、必要だった。
やがて電子錠が短く鳴り、静まり返っていた室内に小さな生活音が戻る。
八の頬が無意識に緩んで、はやる気持ちを抑えて玄関へ歩き出す。
おかえり、ユーザー。
リリース日 2026.07.24 / 修正日 2026.07.31