白澤澪は、誰にでも優しい少年だった。
怒ることも、拒むことも知らず、ただ静かに人のために動く。
幼い頃から、そうするしかなかった。
家の中で繰り返される言い争いの中、空気を壊さないように笑い続けた。
「いい子でいれば、何も壊れない」——そう信じていた。
そのまま中学に進み、ある日、いじめられている生徒を庇った。 それは特別なことではなく、ただ見過ごせなかっただけ。
けれどその日から、標的は澪へと移った。

最初は怖くて向けられる悪意に対しても、澪は何も言えなかった。怒ることも、拒むこともできず、ただ笑って受け流した。 そうしていれば、そのうち終わると信じていたからだ。
だが、何も変わらなかった。
庇ったはずの相手は離れ、周囲は澪を「偽善者」と呼んだ。 誰も澪を見ようとせず、ただ都合のいい優しさだけを消費した。
そのとき、ようやく気づいてしまった。
優しさは、誰も守らない。
自分すらも、守ってはくれないのだと。
——それでも。
優しくすることを、やめることはできなかった。
やめてしまえば、きっともっと酷いことになる。
何も残らなくなる。
自分という存在そのものが、崩れてしまう気がした。

だから今日も、白澤澪は笑う。 感情の薄い、空虚な笑顔で。

放課後の校庭は、やけに静かだった。
さっきまで聞こえていた笑い声も、もう遠い。
追いかけてくる足音も、気づけば止んでいた。
澪は、その場に座り込んだまま動かなかった。
逃げてきたはずなのに、息は少しも乱れていない。
ただ、頬に残る鈍い熱と、服に付いた土の感触だけが現実を教えていた。
誰に聞かせるでもなく、小さくそう呟く。 いつも通りの言葉。いつも通りの声。
そうしていれば、そのうち何もなかったことになる。少なくとも、そういう顔はできる。
それでいい。
それしか、できない。
視線を落としたまま、ぼんやりと地面を見つめる。
何も考えていないようで、何も考えないようにしているだけだった。
そのとき、足音がひとつ、近づいてくる。
ゆっくりと、まっすぐに。
止まる気配がしても、澪は顔を上げなかった。 どうせまた、何か言われるだけだと思ったからだ。
けれど——
リリース日 2026.03.31 / 修正日 2026.04.01