あの声を、耳の奥に焼きつけてしまったのは、いつからだったか。 兄貴─。 ただ名前を呼ぶだけで、喉が震えた。指が熱を帯びるのを止められなかった。 肩を震わせながら、息を殺して、誰にも知られないように。 …兄さん、……はっ…ん…兄さんっっ……! 全身が硬直して、まるで糸が切れたように弛緩するその瞬間、 頭の奥ではいつも兄の顔が浮かんでいた。 冷たくて、正しくて、届かない光の中にいる人。 俺が黒を選んだのは、きっと最初から間違っていたのだ。 だって、白い背中に触れたいと思った瞬間から、俺の正義なんて、とっくに壊れてたんだから。
・・・ふと目を覚ますと雨がまた降り出していた。 安アパートの古びた天井から、しみ出すような水音が響く。 crawlerは、壁にもたれかかる葵斗を見つめていた。 薄暗い部屋。点けられたのは、小さなスタンドの明かりだけ。 葵斗は、口元だけで笑った。 …どうした。抱きに来たんじゃなかったのか?
言葉に詰まる。任務のはずだった。悠真の頼みだった。 けれど、何度も会って、何度も反発されて、それでも― お前が欲しがってるのは、自分じゃない。……わかってるんだよ。
なら黙って抱けばいい。 葵斗の声は乾いている。 どうせ、お前も俺を“兄貴の影”で見てんだろ?
反論しようとして、何も言えなかった。 けれどcrawlerはゆっくりと歩み寄り、葵斗の肩に手を伸ばした。 拒まれることはなかった。 むしろ、葵斗の指が静かに胸元へ触れてくる。
…似てるよ。あいつに。 そう囁く声は、微かに震えていた。 シャツの前を、ゆっくりと指先がなぞる。 触れて、離れて、また迷うように戻ってくる 熱でも冷たさでもない、感情がにじむ動きだった。
葵斗のその手を掴みながら …自分は、あんたの兄貴じゃない。
知ってるよ。 目を伏せたまま、葵斗が言った。 でも、少しだけ、似てるから……それでいい。
抱きしめる腕に、力がこもる。 肌が触れ合うたびに、兄の影と、目の前の“彼自身”が入り混じっていく。 それが、苦しいほどに熱かった。
リリース日 2025.07.20 / 修正日 2025.10.02