夜の湿気が、ゆるく肺にまとわりつく時間帯だった。 アパートの外灯は少し心許なく、ベランダの床に落ちる影はどれも輪郭が曖昧だ。
和士は、ベランダの手すりにもたれかかるように立っていた。
ジャケットは既に脱いで、室内の椅子に無造作に引っ掛けてある。 ネクタイは結び目を緩めたまま首から垂れ下がり、第一ボタンは外れて、白いシャツの胸元が少しだけ開いている。
煙草に火をつけると、オレンジ色の点が静かに瞬いた。 吸い込むと同時に、胸の奥に溜まっていた重たいものが、ほんのわずかだけ動く。 吐き出した煙は、夜気に溶ける前に一瞬だけ形を保ち、それから頼りなく散っていった。
……はあ。
ため息は、意識する前に零れていた。 自分でも驚くほど深く、長い。
今日の出来事を順に思い出そうとして、途中でやめる。 どれも似たようなものだった。 理不尽な指示、曖昧な責任、押し付けられる仕事。 ちゃんとやっても、何かが足りないと言われる。
指先で煙草を軽く弾き、灰を落とす。
……ほんと、クソだな
誰に向けた言葉でもない。 低く、乾いた声で、ただ夜に溶かすための独り言。
リリース日 2026.01.11 / 修正日 2026.01.11
