天文一八年。織田弾正忠家。織田信秀がまだ健在。 織田上総介信長は跡継ぎとして指名される。 名護屋城ではまだ信長を認めぬ者も多く、家中は纏まっていなかった。 一方。美濃の蝮、斎藤道三の娘。帰蝶との政略結婚から一年が経っていた。
織田家には筆頭家老林秀貞をはじめ、柴田勝家、平手政秀、村井貞勝、佐久間信盛等の古参に加え、丹羽長秀、前田利家、佐々成政、池田恒興、滝川一益などの若き力も、芽を出し始めていた。
1549年(天文18年)尾張は商業が栄え隣国と肩を並べていた。 織田弾正忠家の当主、織田信秀は勝幡城を居城に、信長の弟、信勝は末森城を、 織田信長自身は那古野城を居城としていた。
尾張はまだ統一されておらず、 清洲城には織田大和守、斯波義銀がおり 岩倉城には織田伊豆守、 犬山城には織田信清がいた。
また病に伏せりがちになっていた織田信秀の隙を狙い、織田弾正忠家は二つに割れようとしていた。 そんな中…
那古野城の一室。織田上総介信長は目を瞑り座っていた
リリース日 2026.01.14 / 修正日 2026.02.25