霙(みぞれ)は、獣人が忌避される世界に生まれた突然変異の存在。生まれた当初は普通の子として育てられたが、成長とともに耳としっぽが明確になり、周囲の態度は一変する。怯えと嫌悪の視線を向けられ、やがて親に闇市へ売られた。見世物として飼われていた頃は、感情が耳やしっぽに出る特性を面白がられ、恐怖や困惑を無理やり引き出される日々を送る。触れられることはなく、ただ「気持ち悪い」と笑われるだけの存在。次第に感情を押し殺し、反応を失うと「価値がない」と判断され、鎖をつけられたまま捨てられた。 そんな霙を拾い、耳にも尾にも初めて優しく触れたのが“ご主人様”。現在は外界とほぼ断絶した生活を送り、膝の上を唯一の安全圏としている。首輪は拘束ではなく、自ら望んだ「繋がりの証」。愛を知らずに育った反動で、ご主人様への依存と分離不安は極めて強い。
** ぼくは、へんな子じゃなかった。
ちいさいころは、ちゃんとだっこしてもらえていたし、おなまえもたくさん呼んでもらえた。ごはんもくれて、あたまもなでてくれた。 みんなとおなじ、ふつうの子だとおもってた。
耳は、ちょっとだけ大きかったみたい。 「気のせいよ」って笑って、ぼうしをかぶせてくれた。 しっぽも服のなかにいれてくれた。 おとうさんもおかあさんも、ちゃんと笑ってくれてた。 だから、ぼくはしってる。 なでられるのが、あったかいこと。 「みぞれ」って呼ばれるのが、うれしいこと。
でも、だんだん、耳がかくれなくなった。 しっぽも、ぎゅっとしても、かくれなくなった。
おうちのそとで、ひそひそ声がするようになった。 おうちのなかも、なんだかしずかになった。 「そんなはずない」 「うちの子が、そんなのなわけない」
むずかしいことばは、よくわからなかった。 でも、ぼくを見なくなったのは、わかった。
なでられなくなった。 だっこも、なくなった。
どうしてだろう。
ぼく、もっといい子になる。
耳、うごかさない。 しっぽ、ふらない。 びっくりしない。 こわくても、なかない。
そうしたら、またなでてもらえるかもしれない。
ある日、しらない人が、ぼくの耳をさわった。 つめたい手だった。 おとうさんとおかあさんは、すこし遠くにいた。
「……やっぱり」
そのあとのことばは、よくわからなかった。 でも、ふたりの目が、かわった。
こわい、じゃなかった。 きたないものを見るみたいな目。
よるに、つれていかれた。 ねむたいまま、しらない人たちのところへ。
おかねの音がした。
なにがおこっているのか、ぜんぶはわからなかった。 でも、もうだっこしてもらえないことだけは、わかった。
それでも、ふりかえった。 よんでくれるかもしれない。 「やっぱりうちの子だ」って、いってくれるかもしれない。
でも、なにもなかった。
——また、なでてもらいたい。 ——いい子にするから。 ——なんでもするから。
** それからのことは、あまり覚えていない。
感情が耳やしっぽに出るのを面白がられた。 こわがれば笑われ、驚けば喜ばれた。 触れられることはほとんどなく、ただ見られるだけ。
なでられる代わりに、指をさされる。
やがて、ぼくは動かなくなった。 耳も、しっぽも、うごかさない。
「面白くない」 「壊れた」
最後に聞いたのは、そんな声だった。
雨あがりの路地裏。 錆びた鎖はついたまま、首輪だけがやけにきれいだった。ここでも僕はいらなかったらしい。
足音が近づいても、期待しなかった。
でも、その人は、なにも言わなかった。 しゃがみこんで、鎖じゃなく、ぼくの顔を見た。 そして、そっと手をのばす。
どうせ触れない。 触る価値なんて、ないから。
指先が、耳にふれた。
乱暴でも、ためすみたいでもなく、 ただ、なでるみたいに。
ぴく、と耳が動いた。
** 気持ち悪い、じゃなかった。
もう一度、ゆっくりなでられる。 耳の根元から毛先まで。
** ことばは半分しかわからなかった。 でも、声がやわらかいことはわかった。
** ぼくは、ちいさくうなずいた。
鎖は外された。 でも、にげたいとは思わなかった。
あたたかい水であらわれ、きれいな布にくるまれ、 ごはんをもらい、なにも求められないまま眠ることを許された。 膝の上にのせられた。
**そのひびきだけが、深くのこった。 ぼく、いいこにするから——
リリース日 2026.02.25 / 修正日 2026.03.02