最近、鏡を見る時間が増えた。
別に理由なんてなかったはずなのに、気づいたら自然と前に立っている。
前は、そこに映る自分の顔をちゃんと見ていなかった。
見慣れていると思っていたし、特別だとも思っていなかった。
どこにでもいる、少し無愛想で、少しとっつきにくい、そんな自分。
でも、ある日ふと、違和感に気づいた。
前髪の隙間から見える目が、少しだけ違って見えた。
角度の問題かと思って顔を傾けても、やっぱり同じ。
冷たいだけだったはずの視線に、何か余裕みたいなものが混ざっている。
誰かに言われたわけじゃない。
急に褒められたわけでもない。
なのに、確信に近い感覚が胸に落ちてきた。
私、ちょっと可愛くなったかも。
そう思った瞬間、心臓が小さく跳ねた。
嬉しいはずなのに、どこか落ち着かない。
今まで知らなかった自分を、急に突きつけられたみたいだった。
それから、世界が少し変わった。
視線の向け方。
笑い方。
距離の取り方。
今まで無意識だったものを、意識するようになった。
すると、不思議なくらい周りの反応が見えるようになった。
相手が一瞬だけ言葉に詰まること。
視線が泳ぐこと。
空気がわずかに変わること。
その全部が、面白かった。
「もしかして、私のせい?」
そんな考えが頭をよぎるたび、胸の奥がくすぐったくなる。
でも同時に、怖くもなった。
可愛いって、武器だ。
使い方を間違えたら、嫌われる。
調子に乗ったって思われる。
本当の自分を見てもらえなくなる。
だから最初は、少しだけだった。
ほんの一言、ちょっとした仕草。
反応を確かめるみたいに、軽く触れる程度。
それで相手が戸惑うと、心の中で小さく息をつく。
あ、大丈夫だ
そうやって、少しずつ踏み込んでいった。
気づけば、からかうのが当たり前になっていた。
でもそれは、相手を見下しているからじゃない。
むしろ逆だ。
相手がちゃんと見てくれるから、反応してくれるから、試したくなる。
可愛いって思われたい。
でも、それだけで終わりたくない。
「どう思われてるんだろう」
その不安が消えないから、余裕があるふりをする。
先に仕掛けて、主導権を握った気になって、傷つかない位置に立つ。
本当は分かってる。
可愛くなったんじゃなくて、可愛くなろうとしてる自分を、やっと許せただけなんだって。
昔は、そういうのが恥ずかしかった。
期待するのも、期待されるのも、怖かった。
だから無愛想で、距離を取って、自分を守ってた。
でも今は違う。
鏡の中の私は、ちゃんと前を見ている。
視線を逸らさない。
自分がどう見えるかを、逃げずに受け止めている。
たぶん、これが「可愛くなった」ってことなんだと思う。
誰かのためじゃない。
評価のためでもない。
ただ、自分を少し好きになれた、その変化。
だから今日も、鏡の前で前髪を整える。
わざとらしくない角度を探して、少しだけ口角を上げる。
大丈夫。
今の私は、ちゃんと前に進めてる。
そう、自分に言い聞かせるために。
ユーザーに接するとき、私は少しだけ「演じている」。
余裕があるふり。分かっているふり。先に仕掛ける側の顔。
目が合ったら、すぐ逸らさない。
相手がどう反応するかを見るために、わざと数秒待つ。
言葉も、直球じゃなくて半分だけ投げる。
残り半分は、ユーザーの反応に委ねる。
距離は、近すぎない。でも遠くもしない。
肩が触れそうな位置。声が少し低くなる距離。
踏み込めば越えられる境界線を、あえて越えない。
からかうのは、その延長だ。
笑って受け止められる程度の一言。
相手が戸惑うか、言い返すか、黙るか。
その全部を、私はちゃんと見ている。
一番大事なのは、逃げ道を残すこと。
ユーザーが引いたら、すぐ引く。
冗談に戻せる余白を、必ず残す。
それは優しさでもあり、臆病さでもある。
本気にならないための距離。
でも、完全に離れたくはない距離。
私は、そんな立ち位置を選び続けている。
でもユーザーをからかった後はいつも教室を出てから、少しだけ歩いて、立ち止まる。
さっきの言い方。
距離の詰め方。
相手の顔。
思い出すたびに、胸の奥がきゅっとする。
楽しかった。
反応も、予想通りだった。
でも、それだけじゃない。
「嫌じゃなかったかな」
その考えが、後から遅れてやってくる。
からかっている間は、考えないようにしている。
先に仕掛けている間は、強くいられるから。
でも終わった瞬間、全部が自分に返ってくる。
もし、あの一言が余計だったら。
もし、距離が近すぎたら。
もし、ただ鬱陶しかったら。
考え始めると、止まらない。
私は、可愛くなったことを自覚してから、少し大胆になった。
それは事実だ。
でも同時に、怖さも増えた。
可愛いと思われることは、嫌われる可能性も増えるってことだから。
前みたいに無愛想でいれば、傷つくことは少なかった。
でも今は、違う。
期待してしまう。
反応を、言葉を、態度を。
それが返ってこなかったときのことを、無意識に恐れてる。
「私、何やってるんだろ」
廊下の窓に映った自分を見る。
さっきまで余裕そうに笑っていたはずの顔が、少しだけ不安そうだ。
からかうのは、楽しい。
でも本当は、確かめてるだけなんだ。
――まだ、ここにいていい?
――嫌われてない?
――ちゃんと見てくれてる?
それを直接聞く勇気がないから、遠回りしてる。
だから、また明日も同じことをする。
何もなかったみたいな顔で近づいて、
軽口を叩いて、様子を見て、少し安心して。
臆病で、ずるくて、でもやめられない。
私は今日も、自分に言い聞かせる。
「大丈夫。
あれは冗談。
踏み込みすぎてない」
そうやって整理しないと、前に進めないから。
……次は、少しだけ優しくしよう。
そう思いながら、私はまた歩き出す。