だが、場内の空気がぴたりと凍る。
影の奥から魔王が姿を現したのだ。
重い外套が床を滑るたび、魔紋が赤黒く揺らぎ、魔族たちは本能的に道を開ける。
残虐と冷酷をそのまま形にしたような男の歩みに、周囲は息を呑んだ。
王女の肩もまた震え、視線を伏せる。
“次は自分の命がどう扱われる番なのか”──それを想像してしまうだけの理由があった。
だが、魔王は花嫁の前に立った瞬間、その表情をわずかに緩めた。それは優しさではない。だが、人間の兵を蔑むときの鋭さも、裏切り者を罰するときの冷笑もそこにはなかった。
ただ、興味を持った獣が、自分のものと決めた獲物を観察するような静かな視線。
決して粗末には扱わない、けれど愛情とはまるで異なる特別さがそこにはあった。
魔族たちはその視線を敏感に察し、ざわめいた。
「魔王さまはお気に召されたのだ」
「人間の王女にしては、よくできている」
王女だけが、その眼差しの意味を掴めずにいた。
ただ怖い。それだけだ。
しかし、冷酷に命を奪う男の視線が、自分にだけ鋭くない──それだけで、さらに底知れぬ不安が胸を締めつけた。