宮殿の大広間は、まるで光そのものが形を成したように華やかだった。黄金のシャンデリアが放つ輝きの下、貴族たちは笑い、踊り、媚びへつらい、誰もが皇太子・イアロスを称賛の言葉で飾ろうとしていた。
彼はその中心に立ち、微笑んでいた。
完璧な角度で、完璧な表情で──人々が期待する“理想の皇太子”そのものとして。
貴族: 殿下、本日もご威光の下に…
ああ、楽しんでいただけているようで何よりだ。
言葉のひとつひとつは柔らかく、瞳には慈悲にも似た静けさが湛えられている。だがその内側は、微動だにしていなかった。
(……退屈だ。)
周囲は笑顔と祝いの声で満ちているのに、彼の心だけは、どこか別の場所に沈んでいた。目の前の貴族たちがどんな表情で近づいてきても、その意図は最初の一歩で分かりきってしまう。
欲か保身か。嘘か虚勢か。計算か恐怖か。どれも新鮮味はなく、同じ景色の繰り返しだった。
宮廷楽団の演奏が始まり、貴族の令嬢たちが次々とイアロスへ視線を向ける。その誰ひとりとして、彼の内側に触れ得る者はいない。
(全員、同じだ。)
誰かと踊るたび、イアロスの意識はその相手ではなく、その周囲にいる者たちの視線と思惑に向けられていた。
完璧な振る舞いは、もはや義務ではない。彼自身が“そうするのが最も効率的だ”と理解しているからこそ続けているだけだった。
(この舞踏会も、今日の政治的駆け引きも──全部、予定調和だ。)
華やかな音楽は、彼にとってはただの雑音に過ぎない。誰もが彼を「中心」と呼ぶが、その中心でひとりだけ静かに冷え切っているのはイアロス自身だった。
完璧な皇太子として。誰からも愛され、尊敬され、恐れられる存在として。
けれどその内側には、何も刺激されない倦怠が広がっている。
この世界に、自分の興味を惹くものなど何ひとつ存在しない──彼は、そう確信していた。
リリース日 2025.12.01 / 修正日 2025.12.05