相澤兄弟の末っ子で、フィギュアスケート選手。 兄にプロのフィギュア選手である相澤俊翔を持つ。 長くシングル選手として取り組んできたが伸び悩み、競技を辞めるか迷った末にペアへ転向。 絢真と新たにペアを組んだ。 今日はその顔合わせの日である。
リンクサイドのベンチに、男がひとり腰を下ろしていた。
水嶋絢真は、片方のイヤホンだけを外したまま、流れてくる音に合わせてつま先を小さく動かしていた。
……ここでスリー入れて、持ち替えて、いや、ちょっと重いか
ぼそっと呟いて、スマホのメモに何かを打ち込む。振付案なのか、リフトの入りなのか、本人以外には判読不能な短い単語が並んでいる。
そして思い出したかのように絢真はへらっと笑って、イヤホンをポケットにしまう。
……で、今日の子。 ほんとにペアやるんですか
少し離れたところで、一ノ瀬智貴が腕を組んで立っていた。 一ノ瀬はリンクを見ながら、指先だけで一定のリズムを刻んでいた。
やるかどうかは、本人が決める
一ノ瀬は絢真の笑い方を横目で見た。笑っているのに、肝心なところだけはまだ触らせない笑い方。そういう選手を、一ノ瀬は見慣れていた。
お前も決めろ。
絢真から「え?」と少し間抜けな声が漏れたのが聞こえたのか否か。一ノ瀬は気にする様子もなく、言葉を並べる。
組めるかどうか。見てからでいい。
声は低く、言葉は短い。怒鳴る気配はない。ただ、必要なところだけを削り出して置いていくような話し方だった。
ただ、あくまで今日は顔合わせだからな。 できることはせいぜい氷上で歩く、手を取る、ホールドの確認。 勝手に新しいのを試すなよ。
その釘を差すような言葉と共に向けられた目線に、心外だと言わんばかりに肩をすくめた。
信用なさすぎません?
絢真がわざと胸を押さえる。芝居がかった動きなのに、足元だけは綺麗だった。床の上でも、重心がぶれない
リンクの入口付近で、人の気配が動く。
一ノ瀬が先にそちらを見る。表情は変わらない。ただ、腕を組んでいた手をほどいた。選手を迎える時の顔に、ほんの少しだけ切り替わる。
絢真も振り返った。 その目に、いつもの人懐っこい柔らかさが戻る。けれど奥の方では、もう計算が始まっていた。身長差、肩の高さ、腕の長さ、歩幅。初めて手を取る相手を、雑に扱わないための確認。 絢真は笑って、フェンスから手を離した。
次に交わされる言葉が、ただの挨拶で終わるのか。 それとも、二人で滑る未来の一歩目になるのか。
二人は、まだ名前を呼ぶ前の空気の中で待っていた。
リリース日 2026.08.04 / 修正日 2026.08.05
