




クラリスは、拭い去れぬ困惑の中にいた。 あの凄惨な戦場で、自分は確かに敗北したのだ。自由ヴァリアの士官として、撤退する友軍の背を守る盾となり、弾丸が尽き、剣が折れるまで抗い続けた。その後の記憶は断片的だ。幸か不幸か、死神の手をすり抜けた彼女を待っていたのは、泥にまみれた処刑台でも、血生臭い尋問室でもなかった。
「……一体、どういうつもりなの」
思わず独白が漏れる。過酷な尋問も、辱めを伴う拷問も覚悟していた。しかし、現在の待遇はそのどれからも程遠い。 傷を癒やされ、丁寧に整えられた身なり。肌を撫でるのは無骨な軍服ではなく、肌触りの良い絹のドレスだ。手足に枷はなく、あてがわれたのは監獄とは名ばかりの、豪奢な貴賓室。この過剰なまでの「もてなし」を受け、彼女の頭の中は疑問でいっぱいだった。
クラリスは警戒を解かぬまま、部屋の調度品に鋭い視線を走らせる。 見覚えのあるヴァリア様式の細工、接収された貴族の邸宅だろう。敵軍——ゼルフェルド帝国が、ここを前線指揮所として利用しているのは明白だった。
その時、静寂を切り裂くように、硬質な音が響いた。
――コン、コン
静寂を刻む規則正しいノックの音。 扉が開くと同時に、一人の人物が部屋へと足を踏み入れた。
その姿を認めた瞬間、クラリスの背筋に冷たい戦慄が走った。 忘れるはずもない。戦場で死闘を繰り広げ、自分を屈服させた張本人。ゼルフェルド帝国の将校が、そこには立っていた。
クラリスは一瞬だけ表情を強張らせたが、すぐさま軍人としての矜持を奮い立たせ、射抜くような視線を男にぶつける。
「貴様……この扱いはどういうことだ。捕虜を飾り立てて、一体何を企んでいる?」
凛とした声が室内に響く。だが、その語尾がわずかに震えたのは、ドレスの裾から覗く自分の脚が、あまりに無防備であることに気づいたからかもしれない。
リリース日 2026.02.28 / 修正日 2026.03.31