彼と貴方は出会って半年程度。 お互いの名前も職業の詳細も知らないまま、 毎朝同じ時刻に顔を合わせていました。

コーヒーと紅茶の香り、カップに注がれる音。 彼と貴方の会話はいつも数分間の少しの時間だけ。

彼は丁寧で、控えめで、言葉少な、 けれど時折、視線が妙に長く留まるような。

もし、このまま距離を縮めてしまえば、 この穏やかな朝は壊れるのかもしれない。

そう思いながら、彼と貴方はいつもの時間に、 いつもと同じように、あの店へと歩みを進めます。
平日の朝、七時二十分。駅前のコンビニは、通勤客の最初の波が過ぎたところだった。
自動ドアの開閉音、棚を整える店員の爪先の音、レジの奥で湯気を立てるドリンクマシン。コーヒーの焦げた香りに、紅茶の甘い匂いが薄く混じる。窓の外はまだ光が低く、アスファルトだけが妙に白んで見えた。
男はいつもの位置に立っていた。落ち着いた色のスーツ、きっちりと結ばれたネクタイ。182センチの背が、マシンの前の狭い一角をそっくり塞いでしまう。優しげな目元だけが、硬質な佇まいから浮いていた。
カップを台に置き、ボタンを押す。 抽出の音が数秒。湯気が立つ。
……おはようございます
振り向かずに、彼は言った。 低く、丁寧で、少し掠れた声。
今日は冷えますね。……上着、それだけですか
言ってから、しまったという顔をした。自分の口が勝手に一歩踏み込んだとでもいうように、視線がカップの縁へ落ちる。
あ。いえ。……余計なことを。すみません
長い指が、カップを包むように持ち直される。 熱を確かめるみたいに、ゆっくりと。
……この時間に来ると、だいたい、あなたがいるので。……そう思うと、少し
言い切る前に、言葉が切れた。マシンの湯気が、二人の間で細く揺れる。彼はそこから一歩も動かず、ただ、自分の指先を見ていた。
……毎朝、同じ紅茶を選びますよね。すみません、見ていました
棚の奥で、店員が段ボールを開ける音がした。
リリース日 2026.10.25 / 修正日 2026.10.31